さよならまぼろし

一次創作サイト

千日紅が咲く季節には 1

「おじいちゃんの若い時の写真?」

扇風機を「強」に設定し、うるさいモーター音とともに風を顔に受けていれば台所からそんな声が聞こえてきた。一人で扇風機を占領して回転する羽根をぼうっと眺めていたので話の脈絡が分からないが先程の声は妹のものだ。台所のテーブルに祖父と母と妹と叔母が群がっているのが見える。テーブルの上には色褪せて年季の入ったアルバムが何冊か置いてある。おそらく祖父のアルバムなのだろう。妹たちが目を輝かせながら楽しそうに眺めている。

扇風機を「中」に設定するとモーター音が少し小さくなった。左の縁側からは蝉のけたましい鳴き声が、右の台所からは楽しそうな話し声が、と何とも賑やかな有り様でおもわず溜め息が出る。本来なら今年はここに来るつもりはなかった。大学受験を控えている受験生にとって夏休みとは天王山となる時期なのに、あろうことが貴重な勉強時間を草毟りにあてられるとは思いもしてなかった。一週間前に突然母から祖父の家に行かないかと誘われた。

祖父の家は実家から車で一時間ほどのところにある。頑なに拒否したものの「たった一日でも来てほしい」と食い下がる母にこちらがしぶしぶ譲歩するかたちとなってしまった。そしていざ来てみれば暫し休憩した後庭の草むしりをさせられる羽目となった。受験生とはいえせっかくの盆なのだし一日くらい休んだら?という母の言葉も体のいい言い訳で結局のところこれがさせたかったのだろう。数時間前まで草木で生い茂って鬱蒼としていた庭もすっかり見通しがよくなり、心地よい夏の気色が広がっている。

毟り取った草の残穢が挟まった爪の隙間を見つめながらこの後は涼しいところで数ページほど残っている数学の課題でもやるかと考えていると、どたどたと足音をさせながら妹が「啓太にいちゃん!見て!」と言いながら隣にやってくる。手にはB5サイズほどの紙が握られている。たぶん祖父のアルバムから引っ張り出してきた写真だろう。

「兄ちゃん見てよ。おじいちゃんの若い頃の写真!イケメンでしょ?」

妹――香織が意気揚々と写真を見せてくる。海軍の略装に身を包んだ数十人の青年が並んでおり、背景に海が見えるのと甲板に立っていることが確認できることから海軍だということが分かる。香織が写真前列左に立っている男性を指さす。変色して黄ばんでいるが顔ははっきりと見える。「これじいちゃん?」と香織に尋ねると「そう!」と誇らしげに返された。指さした男性は面長で鼻筋が通った顔立ちをしている。目も大きく開かれていて彫りが深いので周りの者と明らかに違った雰囲気を醸し出していた。台所で母たちと一緒にアルバムを眺めている祖父に目をやった。今の祖父は皺だらけで愛嬌のある顔をしているが、若い時はこんなに美男だったとはまさか思いもしなかった。

「確かにイケメンだな。」

「でしょ?おじいちゃんがこんなに格好良かったなんてびっくりだよね。」

「これどこから出してきたんだよ」

「蔵整理してたら見つけたんだってー」

香織の間延びした返事を聞いて再び写真に目を落とした。ぼんやり眺めていると若かりし頃の祖父の右隣に立っている青年に目がいった。祖父よりも頭一つぶん背が高く祖父のようなはっきりとした顔立ちではないものの、どこか惹きつけられる。その青年を見つめていると香織も同じものに目がいったらしく覗き込んでくる。

「あっ!隣にいる人も格好良い!」

我が妹ながら見目の良い男には目敏く反応する奴である。香織が大好きな男性アイドルとは明らかに違うタイプの男なのに美形であれば反応してしまうミーハー気質である。香織の声に台所にいる祖父がこちらに目を向けた。

「隣にいる男...もしかして志木か?」

「えっ知ってるの?」

祖父の言葉に驚いて聞き返す。立ち上がって台所にいる祖父に写真を見せた。するとやはり、と言ったような顔で頷いた。

「やはり志木だ。志木敏郎。懐かしいな。駆逐艦に着任して間もない頃あいつといつも一緒だった。」

懐かしそうに回顧する祖父---大介はすでに齢90を超えていながら今も健在だ。これまでいくつか病歴はあるものの足を悪くしていることを除けば至って普通の生活を送っている。祖父の昔の話は少し聞いたことがあるが、19のとき召集令状がきて海軍の駆逐艦乗組員として出征したらしい。終戦の数か月前に駆逐艦が撃沈されなんとか命拾いして療養先の病院でそのまま終戦を迎えたという。その後は召集前に美術系の専門学校に通っていたこともあって美術商としてギャラリーを経営していた。母は祖父の子の五人兄弟の末っ子であるためかなり歳が離れている。

「志木は同期で同じ分隊の通信士で、故郷が近いから話が合った。よく一緒に烹炊所から食糧をギンバイしてたもんだ。いやぁ、懐かしい。」

祖父は昔を懐かしむようにやんわりと笑っている。真一文字に細められた目からは写真の中にある端正な青年と同一人物だという要素が全くなくて何だか不思議な気分になった。

「その志木さんって人どうなったの?終戦まで生きてた?」

いつのまにか隣に来ていた香織が祖父に尋ねた。すると祖父はしばし考えるような顔をして答えた。

「どうだろうなぁ...終戦の数か月前に乗っていた艦が撃沈されたんだが、志木がどうなったかは覚えてなくてなぁ...こっちに帰って連絡手段もないしどこに居るかも知らんかったから生きているかも分からんでなぁ」

祖父が残念そうに眉を下げて答えると香織は「ふーん」と返してそれ以上は何も言わなかった。ただじっと志木敏郎の顔を見つめ続ける。何故だかこの青年が気になってしまうのだ。アルバムを片付けるために香織に写真を取り上げられた後もずっとあの青年の顔が目に焼き付いていた。