さよならまぼろし

一次創作サイト

千日紅が咲く季節には 9

 それから翌週、ようやく都内郊外に住んでいるという井出勇子、敏郎の娘さんに会いに行く日になった。

電車をバスを乗り継いで教えてもらったバス停から歩いて地図の通りに閑静な住宅街の中を歩いていく。

示されたところに辿り着くと"井出"と書かれた表札がある家があった。

門の外からインターホンで呼び出すと玄関の扉が開く。中から出てきたのは七十代くらいの女性だった。

「浅海啓太さんですよね?よくおいで下さいました。」

そう言って女性が門を開けて玄関へ案内する。顔からこの人が井出勇子さんだ。

「どうぞお上がりください。」

勇子さんは恐らく七十代後半ほどだろうが年齢よりも若く見えるように思う。ゆったり歩くが腰が曲がっているわけでもなくしゃんとしている。玄関に入る時に少し見えたが庭先は整えられ家の内装も小綺麗だ。感じの良いところだと思った。

客間に案内され座るとお茶が出された。鞄から持ってきたアルバムを取りだす。

「改めて今回はお会いしてくれてありがとうございます。僕は浅海大介の孫の啓太です。突然の連絡申し訳ありませんでした。」

「井出勇子といいます。旧姓は志木で、ご存じの通り志木敏郎の娘です。私の方は大丈夫なので気になさらないで。まさか大介さんのお孫さんから父のことを知りたいと言われるとは思っていなかったので驚きましたけどね。」

「す、すみません…」

「いえ、良いですよ。寧ろ嬉しいくらいです。父のことを話すなんてきっともう無いと思っていたから。」

申し訳思って深々と頭を下げると勇子さんは緩慢とした動きで制止した。穏やかな笑みを浮かべていて先程まであった緊張も少しずつ解れていく。

「それで、啓太さんが父を知ったのは写真からでしたかしら?」

「はい、この写真です。」

アルバムを開いて若き頃の祖父と敏郎が写った写真を見せる。その次に祖父と勇子さんが写った写真も見せると勇子さんは懐かしむようにますます笑う。

「懐かしいわね。この写真。確か母が施設に入って私も近くに引っ越す前に一緒に撮ったんだったわ。」

「覚えていらしたんですね。」

「覚えていますよ、大介さんとは母ともどもお世話になりましたから。」

「…あの、祖父はどういう経緯でお二人と出会ったんでしょうか?」

「大介さんが初めて母に会いに来たのは昭和二十年の終戦の少し前のことらしいです。私はその時まだ一歳だったので記憶はないんですけどね。」

勇子さんは写真よりもうんと笑って話す。なんだか子供のように無邪気な笑顔だ。写真の志木の顔立ちともどこか似ていて本当に親子なのだと分かる。

「大介さんは志木家に父が戦死したという旨を伝えにきたらしいです。」

その言葉を聞いて拍動が速くなるのを感じた。分かっていたこととは言え、はっきり告げられると衝撃を感じる。勇子さんの声のトーンは変わらないが冷房を付けているのになぜか額にじとりと汗が浮かんだ。

「父と大介さんが乗艦していた駆逐艦はその年の春に輸送任務中に米爆撃機の攻撃を受けて撃沈されたらしいです。父は艦が沈む直前まで生きていたらしんですが、沈んだ後はどうなったのか一時安否が分からなかったそうです。でも大介さんが療養中に戦死していたことが判明したらしいです。」

「…………………」

「母が言うには、伝えに来た時大介さんは母と家族に土下座して謝罪したようです。"友の最期の姿を見届けることができなくて申し訳ない"、"自分だけ生き残って申し訳ない"と言ったそうです。」

その言葉を聞いて押し黙る。祖父は志木のことについては"結局どうなったのか分からない"と答えていたが、きっと何かあるのではないかと考えていた。そしたら、まさかこんなことがあったなんて思わなかったのだ。祖父はこの時どんな気持ちだったのだろうか。自分は生き残って、友が死んで。想像を絶するような心境だったのだろう。

「母は父を失ってしばらくはふさぎこんでいたようです。それで大介さんがよく会いに来て色々とやってくれたようです。」

「…そうだったんですね。」

「その甲斐あってか、母も段々元気を取り戻していって父を亡くして二年後に再婚しました。その人は父の両親たち、私の祖父母なんですが新しく義理の息子さんを迎えてその人と母は結婚しました。血は繋がっていませんが、それが今の父です。」

「勇子さんはこの話をいつ冨美子さんから聞かせられたんですか?」

「私が十八の時です。それまでは今の父と血が繋がっていないことは教えられたんですが本当の父のことは一切話がなくって知りませんでした。だから聞かされた時はたいそう驚きましたよ。」

「ということは勇子さんの今のお父さんもそのこと知っていたんですね。」

「そうですね。母も祖父母も隠したりはしませんでした。母もたまに父のことを話してくれたおかげで私も今の父も本当の父のことを色々と知ることが出来ました。」

勇子さんはちゃんと冨美子さんから話してもらったから敏郎のことも知っていたのか。今こうして話を聞けているのも勇子さんが敏郎のことを話してもらったおかげでもし話してもらうことがなければ、自分はずっと敏郎のことを知れないままだっただろう。

「大介さんも本当によくしてくれました。母も私も大介さんに支えられたところが多いですし、三十年前に私たちが遠くの街に移るとわかったらこの街に住むだなんて言うのですから本当に驚きましたよ。」

「…もしかしたら、ここに住むことを決めたのも志木さんのこと忘れないようにするためかもしれませんね。」

「そうですね。きっと…そうだと思います。」

祖父は敏郎のことを隠しながらも、敏郎の死を悔んだり家族のことにまで親身になって支えたり、果てには敏郎の故郷に住むことを決めるだなんて本当に敏郎を大切な友だと思っていたのだと思わされる。そう思うと自分としても嬉しいのだ。

すると、勇子さんが「あ、そうそう。ちょって待ってていただけますか?」と言って客間を出て行った。しばらくして戻ってくると手には小さな箱を抱えていた。

赤と黒の和紙で包まれた文庫箱だ。中を開けると中にはいくつか物が入っていた。手紙、文房具、時計などだ。どれも古びていて時計に関しては金属部分が錆びている。

「これは父の遺品です。父と母が結婚したのは父が出征する数か月前だったのですが、そのころ父が使っていたもののいくつかを今もこうして保管しているんです。」

「志木さんの…ですか。」

不思議な気分だ。こうして敏郎が実際に使っていたものを目にすると本当に彼はここに居たのだと言いようのない喜びがこみ上げる。箱の中の物をしばらく眺めていると、箱の底になにやら紙切れのようなものがくっついていることに気づく。それが気になって勇子に声を掛けることにした。

「すみません、勇子さん。この底にある紙、見てもいいですか?」

「ええ、どうぞ。」

その言葉を聞いて底にくっついている紙を剥がす。そこには短く文章が書かれていた。

"センニチコウ 丘ノ下アルイテ二・七五間"

なにやら暗号のような文章だった。千日紅、丘の下、この単語には身に覚えがあるので敏郎が書いたものであるということであるのは確かだろう。

「変な文章でしょう?母とどういう意味なんだろねってずっと話してたの。」

勇子さんはけらけら笑うが、見当がついている自分にとってこれは自分たちしか分からないように工夫したんだろうと想像できる。丘の下というのはあの空き地の下のことだろう。歩いて二・七五間というのは距離のことだろうか。早速この後行かなければならない。

勇子さんの家を後にしてすぐに電車とバスを乗り継いであの丘へ向かった。

間という単位に関してよくわからなかったためインターネットのツールを用いてなんとか求めることができた。そこまで正確ではないが、恐らく大体のところが分かれば十分だろう。もしかしたら地面を掘り起こすこともあるかもしれないと途中ホームセンターでスコップと軍手を購入した。もしかしたら自宅にあるかもしれないと思ったが、ここから自宅は遠いし取りに帰る時間が勿体ないので多少の出費には目をつぶることにした。

丘にやってくると相変わらず草が生い茂っている空き地がそこにあった。

空き地横の階段を下りてそこから二・七五間、つまり五メートルほど進む。

膝のあたりまで伸びている草を蹴り払って目的地点まで来ると、そこの部分の雑草を軍手をはめた手で引き抜く。大体の範囲を引き抜いてその部分をスコップで掘る。本当にこんなところにあるのかと思いもしたが、取りあえず掘れるだけ掘ってみようと続ける。うるさいほどの蝉の声が耳を劈くなか汗ばむ額を拭いながら掘り進める。

その時、スコップの先にがつんと何か硬いものが当たった。

物が埋まっているところの土を掘って引っ張り出す。それは先程勇子さんの家にあった文庫箱よりは一回りほど小さい箱だった。見た目は黒と赤の和紙で包まれているので恐らく敏郎のもので間違いない。

土でかなり汚れているがそれを払って中を開いた。そこには萎れた押し花が入っていた。アルバムに挟まれていたものと同じような状態で茶色くなって形も崩れてはいるが、花びらからこれが千日紅だということはわかる。

沢山の千日紅の押し花。きっと敏郎が作ったのだろう。この前何となく教えた押し花の作り方がここで活かされるとは思ってもみなかった。

箱の中の押し花を手に取っていると底に紙切れが見えた。先程と同じだ。その紙切れを取ってみると文字が書かれているのが分かった。

"未来へ繋ぐ また会おう"

簡潔だが、力強いメッセージに思わず笑みがこぼれる。ここに埋めたのはあの丘が自分たちが出会った場所だからだろうか。そういえば、あの丘から落ちた時もあの時代にタイムスリップした最後の日に見た千日紅はなぜかそこにあったのだった。未だにあれがどういう意味だったのかは分からないが、もしかしたら過去と未来を結ぶ存在だったのだろうか。

自分たちにしか分からない場所に埋めることで未来の自分に忘れないように、また思い出すようにするためにこうしてこの千日紅を埋めたのだろう。

大丈夫だ、ちゃんとこの先の未来まで繋ぐよ。敏郎が生きた証を絶対に忘れないために。

次はこっちが過去に送り返す番だ。自分も千日紅の押し花を作らなければ。それまでこの押し花はここに置いておこう。

千日紅が咲く季節じゃなくても、この千日紅の押し花さえあればいつでも思い出せる。

萎れた押し花を箱にしまいこんで埋まっていた場所に返す。その時、吹いた風とともにどこからか赤い花びらが飛んできたような気がした。