さよならまぼろし

一次創作サイト

通販サイトで購入した怪しげな香水使ったら職場の年下美形社員からモテモテになった話

その香水を見つけたのはとある通販サイトでのことだった。

いつも利用しているサイトの商品一覧ページを流し見しているとふと目に留まった。聞いたことのないメーカーのラベルも取り留めて特徴のないそれが、なぜか無性に気になった。

好奇心のままにクリックして商品詳細を見てみれば出品者情報や商品概要が最低限の説明しかなく、どこのメーカーのものかもよくわからない物であった。はっきり言えば明らかに"怪しい物"でしかなかった。しかし、なぜか私はそれに対する興味が抑えられなかった。本来ならばそんな怪しい商品を購入する気など起きずにさっさとブラウザバックしていることだっただろう。それなのに私の手は商品画像の右横にある購入ボタンをクリックしてしまったのだ。

それはおそらく、商品概要欄の『これを付ければ驚くほど異性にモテる』という一文に惹かれたからだろう。

それから数日後に無事手元に届いたのでその香水をつけてみた。結果から言うと、売り文句の通り私は驚くほど異性にモテはじめた。しかし、それは私が想像していたものとは少し違った状況となってしまった。

正直言って私はお世辞にも男性経験が豊富とは言えない。むしろ乏しいほうだ。顔立ちも決して整っていないし、おしゃれのこともあまり詳しくない。格好も地味で性格も内向的な私は昔から男性との接し方がよく分からなかった。男性慣れしてないせいか、私は男性と仲良くする機会にも恵まれず結果ほとんど恋愛経験もなく結婚もできず、巷間で言うアラフォーと呼べる歳になってしまった。

あの怪しげな香水に興味が惹かれたのも、もし本当に異性にモテることができたらという淡い願望のせいだ。実際にそんな効果があるだなんて普通信じないだろう。それでも、もしもの期待に賭けてしまったのだ。この歳で独身で恋人すらいないのは自分としても危機感があったからだ。もし効かなかったとしても鼻で笑って捨ててしまえばいいとしか思っていなかった。実際効果があったから嬉しいと喜ぶことができたなら良かったのだが喜びより、どちらかというと"困惑"のほうが勝ってしまっている。

この状況は他の女性が見れば"羨ましい"だとか思うかもしれない。しかし自分はそこまで望んでいるわけではなかった故に戸惑いのほうが大きい。なぜこのような状況になったのか、いまいち分からなかった。

まさか、自分がこのような状況に置かれるなどとは思わないだろう。"複数の年下男性から想いを寄せられる"なんて。

今日も通勤ラッシュの電車に三十分ほど揺られて会社に向かう。会社に行くのもひと苦労で毎度のごとく出社する前から疲れてしまっている。

オフィス街に建つとある保険会社の本社ビル。その経理部で私は働いている。今日もいつもと変わらない一日が始まる。はずだった。エレベーターの前でボタンを押して待っていると、後方に気配を感じた。その気配の正体を私は不思議と理解してしまう。

「浅田さん!おはようございます!」

ハリのある元気な声で名前を言われてついびくっと反応してしまう。やはり予想通り"彼"だ。

「お、おはようございます‥‥」

少々萎縮してしまいながらも何とか挨拶を返しながら振り向く。そこには爽やかな七三分けの美形社員が立っていた。彼の名前は木村孝。今年入社一年目の新人社員だ。同じ経理部なのだが、明るくて誠実な性格と爽やかなルックスから他の部署の女子社員から新人ながら絶大な人気を誇っている。

「朝から浅田さんに会えるなんて嬉しいです!」

彼はにこにこと人当たりのいい笑顔で言う。私にはあまりにも眩しすぎるそれを直視することができず目を逸らしてしまう。会った時はいつもこんな風に笑顔を向けてくれるが男性に耐性のないので今までちゃんと見たことがない。屈託のない笑顔を向けてくれる彼には非常に申し訳ない。

"以前まで"は挨拶をしたり、たまに事務的な会話がある程度だったのに最近はやたらと朝にエンカウントする率が高く、会えば挨拶だけでなく色々と会話するようになった。私のほうから話しかける勇気もないのでいつも彼のほうから話しかけてくれているのだが、なんとなく彼の目から"熱っぽさ"を感じることがある。恋愛経験が乏しい私がそういうのが機敏に分かるわけでももなく、以前までなら単なる自意識過剰だと思っていただろう。しかし確かにあの香水の効果がある以上、それは単なる思い過ごしでも自意識過剰でもない。

取り留めのない会話を交わしながらエレベーターが到着したので乗り込む。経理部は八階にある。出社前のこの時間はエレベーターを利用する社員が非常に多く毎回混みあっている。私と彼は人の波に押されてエレベーターの奥に押し込まれる。私が壁側にいるので自然と彼の顔が近くなる。体が密着しそうな距離感につい体温が上がっていくのを感じてしまう。

「やっぱりこの時間は人多いですね」

「そ、そうだね‥‥」

彼の言葉にもなんとか返事をしながら平常心を保とうとするが、イレギュラーな状況ゆえに普段通りというのは難しい。男慣れしていない自分にはあまりにも酷すぎる状況だ。

エレベーターが五階に到着すると彼の横にいた男性社員が降りようと動いた。彼の隣を通り過ぎるとき肩同士がぶつかってしまい、彼の身体が大きく揺れた。彼は慌てて手を壁について私にぶつかることは無かったが、そのせいで体は見事に密着してしまい顔もさらに近くなった。

「あ、す‥すみません‥!」

「あ、い、いえ‥‥」

彼は声を潜めながらも申し訳なさそうに謝罪する。その顔はわずかに紅潮しているのがわかった。彼のトレードマークともいえる屈託のない笑顔はどこへやら、珍しく動揺しているようで表情に余裕が無いのがわかる。しかしこういう時でも私はどういう対応をすればいいのかもわからず、ただ返事をするだけで俯いた。

ふと視線を感じて少し視線を上げると、かちりと彼の肩越しに若い女性社員と目が合った。彼女の視線は端的に"敵意"と"嫉妬"を表しているものだった。おそらく彼に好意を寄せている多くの女性社員の一人だろう。以前は全くなかったのに、最近になってやたらとこういった視線を向けられるようになってしまった。それはきっと、ただ単純に私が彼と親しくしているからという訳だけでなく、「なぜこんなおばさんが?」という疑問もいくらか混ざっているからだろう。人から敵意を向けられて平気でいられるほど私もメンタルの強い人間ではない。こうやって好意を向けられる状況をどうにかしたいのだか、どうにもできないのが現状であった。人の好意を無下にできるわけでもうまく躱すスキルなどない。すべては男性慣れしてないせいなのだが、年下の美形男子から好意を向けられるということ自体人生で初めての経験なので対処にこれ以上なく困るのだ。

なんとか八階に着き、経理部のオフィスに入る。自分のデスクに向かおうと歩いているとあるデスクに座っていた一人の男性社員に声をかけられた。

「浅田さん、おはようございます」

デスクを立って律儀に挨拶してくる彼の名前は井芹亨太郎。この経理部にてエースとも呼べる優秀社員だ。それに加えて筋骨隆々な身体と精悍な顔立ち、実直な性格が相俟って女性社員の好意の的となっている。

「あっ、浅田さんじゃないですか。おはようございまーす」

前方から近づいてくる男性社員が一人、柴村有人だ。井芹くんとこの経理部の双翼をなすエースだ。ウェーブのかかった髪の毛に気だるげな表情、すらりとした長身を台無しにしている猫背とダウナーな印象を受ける社員だが端正な顔立ちから女子社員には大人気である。そして井芹くんと同期で仲が良いのか、よく二人でいるところを目にすることが多い。

井芹くんと柴村くん、どちらも木村くんと同じくあの香水の効果で好意を向けられるようになった二人だ。

私はすかさず二人に挨拶を返したが、社内で絶大な人気を誇る美形社員三人に囲まれている状況で胃がきりきりと痛むのを感じた。それもオフィス中の社員(主に女性社員)たちからの視線のせいだ。疑問と敵意と興味が混ざり合ったその多様な視線は私にストレスをかけるには十分すぎるものだった。

すると、オフィス中の視線などものともせずに柴村くんが私の後ろにいた木村くんを見て声をかけた。

「あれ?お前また一緒なの?」

「そうですが、何か不満ですか?」

「何で毎日毎日浅田さんと一緒に出勤してくるわけ?お前絶対狙って時間合わせてきてるだろ」

「そんなことないです。たまたまです」

柴村くんの発言が元で柴村くんと木村くんが一触即発の空気になる。彼らがこういう応酬をするのはこれが初めてではなく、前々からこういった状況には何回かなっており、どれも私が関わることからだった。

「んなわけないだろ!てか前はもっと早く来てたのに、浅田さんと一緒に来るようになってから時間変わたってそういうことだろうよ」

「だから偶然ですって。時間が変わったのは気分です」

「だーかーらー」

「おいやめろ柴村。オフィスであまり騒ぐな。それと浅田さんが困っているだろうが」

木村くんの言葉が気に入らなかったのかむっと顔をしかめて反論しようとした柴村くんを井芹くんが諫める。正直私は仲裁に入れるほど器用ではないので、柴村くんの扱いを心得ている井芹くんに助けてもらうのは毎度のことであり非常に世話になっている。

井芹くんの言葉が正論だと思ったのか、柴村くんはしぶしぶといった感じで不満残った表情で黙った。しかし、木村くんは言い返さないと収まらなかったのか柴村くんに失言とも言える発言をした。

「柴村さんは僕と違って浅田さんと一緒に出勤できないから妬んでるんですよね?まぁ僕は浅田さんとすっかり仲良くなっちゃいましたからね。さっきも浅田さんと急接近しましたし!」

「えっ‥‥」

「え、急接近てなに」

「浅田さんに壁ドンしちゃいました!」

木村くんの言葉でオフィス中の視線が一気に私に集まった。彼らと関わるようになってからやたら複数の人間の視線を集めるようになってしまったのだが、いつまで経っても人から見られるというのは慣れない。このようなことで注目されるのはかなり不本意なので私としても非常に気まずい気持ちになる。

木村くん以外の二人に目を向けると、井芹くんは明らかに顔を曇らせており柴村くんにいたっては今にも噛みついていきそうな犬のように唸っていた。

「は?壁ドン?何だそれ?無害そうな顔して浅田さんに手出したってことかよ?」

「事故ですから!故意じゃないですよ?」

木村くんは笑いながら柴村くんの威嚇を躱す。そもそも壁ドンって微妙に古くないだろうかと思ったが口に出す勇気もないため私は黙って見ているだけだった。

「ふざけんなよー!あー俺も浅田さんと接近したかった!密着したかったー!」

「残念でしたね」

「残念でしたねじゃねーよ!てかお前さっきの口ぶりからいかにもわざとやったかのような感じだったよな?事故とか言ってたけど実際はわざとやったんだろ?」

「違いますって!本当に事故ですよ!人にぶつかられてそれで体勢崩れて慌てて手をついたら‥って感じでしたから」

「本当だろうなぁ?」

再び柴村くんが一人でヒートアップしそうになり始めたので井芹くんがまた注意してくれるかと思ったが、当の井芹くんがこちらを見ていることに気づいた。

「‥え、な、なに?井芹くん」

「あの、浅田さん。今日の昼って予定ありますか?」

「‥‥ないけど。どうして?」

「俺、いいイタリアンの店知ってるんです。良かったら昼にご一緒しませんか?」

「えっ‥えっと‥」

「おい!井芹!なに一人で勝手に抜け駆けしてんだよ!」

にこやかに笑って言う井芹くんの後ろでさっきまで氷炭相容れずといった感じで白熱していた二人がいつのまにかこちらを見ていた。柴村くんは目敏く井芹くんの行動に気づいて怒っているようで、木村くんは何か言いたげな顔をしている。

「イタリアンなんて高尚じみた店は浅田さん好きじゃないんだよ!浅田さん、オレお洒落な喫茶店知ってるんです!俺と"二人きりで"行きませんか?」

「柴村さんずるいですよ!浅田さん、僕もおすすめの定食屋があるんです!僕と一緒に行きましょう!」

いつまにか三人が目の前にまで迫ってランチの誘いをされてる状況なのだが、なんというかキャパオーバーだ。一人だけならどうにかできたものの(一人だけでもかなり大変だが)三人同時に誘われてもうお手上げだ。案の定オフィス中の女性社員たちから射殺さんばかりの視線を頂戴している。ここで全員断っても誰か一人の誘いを受けても結果的にますます嫉妬の視線を向けられるようになるのは変わらないだろう。それならどうすべきだというのか。

『浅田さん、ぜひ一緒に!』

本当にどうすればいいのやら。

「それは傑作だなあ~」

ベンチで寛ぎながら気の抜けた声で彼は笑った。休憩時間にあの三人に見つからないようにこっそりとオフィスを抜けて中庭のテラスで一息つこうかと思っていれば、見知った顔を見かけた。彼は営業部の高辻広宣。部署の違う彼となぜ顔見知りなのかというと、去年の暮れにあった部署合同の飲み会で私が飲みすぎて吐き気を催した時にたまたま近くにいた彼が介抱してくれたのだった。それ以来顔を合わせれば世間話をする間柄だ。

高辻くんは三十代半ばで顔立ちが特別整っているわけでもないのだが、清潔感のある外見や明るくて陽気な性格で男性慣れのしていない私ですら話していてとても落ち着くと思わせてくれる人だ。それでもなぜかあまり女性からはモテないらしくいつも「あー彼女ほしー」などと嘆いている。

ちょうど営業終わりらしく休憩がてら立ち寄ったらしい。私の横で空になった缶コーヒーを回しながら身を捩った。

「笑い話じゃないよ。私本当に苦労してるんだから。よく注目されるし特に女性たちの視線がこわいし‥‥」

「まあまあ。それもどうせ一時のもんでしょうよ。時間が経てば効果も消えるんじゃないの?」

「だったらいいんだけどなあ‥」

実は高辻くんは私があの香水のせいで彼らから好意を向けられてることを知っている唯一の人間だ。最初はこんなこと話しても笑われるだけだと思って躊躇ったが、他に話せる人もおらず彼なら信じてくれるかもしれないという淡い期待で告げてみたところ彼は信じてくれたのだった。

「浅田さんも本当に困ったもん買っちゃいましたね」

「あはは‥‥返す言葉もないです」

彼の言うことに本当に返す言葉がない。困った買い物というのは自業自得とは言え、その通りなのだ。あの香水は困ったことに、身体を洗っても日が経っても効果が切れないのだ。普通の香水ならシャワーを浴びたりすれば落ちるし、匂いもせいぜい一日くらいしか続かない。なのにあの香水は驚くほど効果が続いている。そして、なぜか見目のいい男性にしか効かない。他の男性には一切効かないのだ。謎が多すぎる故に対処のしようもないのが実状だった。

「浅田さんもきっぱり断ったらいいのに」

「それが出来たらこんなに苦労してないよ‥‥」

「浅田さんにちょっと拒否されたくらいじゃあいつらも引き下がらないだろうし?」

「それも困る‥‥」

はは、と高辻くんは笑っているが私としては笑いごとではない。あの香水をつけてからもう一月が経とうとしているのに効果が薄れている感じもない。むしろ強くなっているのではないかとさえ感じる。どうすればいいのか。考えたところで何も思いつかない。

「あー‥それじゃあさ」

高辻くんはなにか思いついたのか一息ついて言う。

「俺と付き合ってのはどう?」

「‥‥‥‥え?」

「流石に浅田さんに恋人できたらあいつらも諦めるでしょ。どう?名案だろ?」

「‥‥‥‥えーと‥」

高辻くんは自信ありげに笑うが私としては戸惑いしかない。実際あの三人が諦めるかどうかはわからないが(なにかしら動揺したりはあるだろうが)、確かに恋人がいるというのは効果的な理由付けに使えるかもしれない。私も高辻くんも恋人を欲しがっていたから一石二鳥、となればよかったのだが私としてはあまり気が進まない。

「あの‥高辻くん、そう言ってくれるのは嬉しいんだけど‥‥私と高辻くんじゃ歳離れてるし‥無理なんじゃない?」

「無理ってどうして言えるんですか?まだ付き合ってもないのに」

「だって私‥おばさんだし‥」

「そんなの気にしないですよ。それに俺、年上の女性は好きですから」

やはり私と彼では歳が離れているというのがネックだ。それに私のような根暗の中年女と明るくて人徳もある高辻くんではどう考えても釣り合わない。しかし高辻くんはそんなのお構いなしといった様子だ。そういったことは気にしないのだろう。

「わ、私と付き合うとか‥嫌じゃないの?」

「いえ、全く。むしろチャンスだと思いました」

「‥‥どうして?」

「だって俺、前から浅田さんのこと好きでしたから」

告げられた言葉に一瞬時が止まったように硬直した。好き?高辻くんが私のことを?

慌てて高辻くんのほうを見るとその横顔は耳まで真っ赤になっていた。あの香水は美形の男性にしか効かないんじゃなかったのか。またしても増える謎に頭を悩ませながらも、どう返答しようかと懊悩するのみだった。彼が握りしめている缶コーヒーの中身は相変わらず空のままだった。