さよならまぼろし

一次創作サイト

山眠る 2

 しかし、何を考えたところですべては無駄なことである。死はどんな形であれ死である。今となっては骨片となってしまった人間が蘇るなどということはない。没薬はかつては木乃伊を腐らせないよう用いられていたようだが、没薬の香を焚いたところで骨片が骨片であることに変わりはない。"彼"が死んでとうに袖の露などに乾くほどの時が経った。人間とは真に愚かな生き物で、軒並みの表現をすれば"己の目の前から消えて初めてその者を大切さに気付く"という浅ましさがある。私は"彼"が生きている間にそれに気づくことができなかった。今さら悔悟したところで贖うことはできない。生きるとは罪悪である。死とは罰であり、救済でありそして何よりの祝福である。この世を生きる人間が救われる方法は、やはり死しかないのだ。

私は中陰壇に近寄って骨壺に手を伸ばした。骨壺に触れるなど無作法だ罰当たりだと言われようが構わない。普段なら厳格に守っているはずの教えさえ破って、この感傷に浸りたいと思ったのだ。白布に包まれた四角い小さな棺をこの腕に抱いた。"死"という事実が入れられただけの棺は冷たく何の感慨も伝わってこない。ただ、冷血な証明がそこに横たわっているのみ。それはきっと、"彼"が骨に変わってしまったのと同時にこの棺に"彼"への思いすべてをしまい込んで封殺したからだと思った。そのはずなのに、元来なら"思うことさえ"許されない思いのはずなのに棺を抱き締める腕に力がこもっていく。

嗚呼、どうして。どうして君は私を置いて往ってしまったのか。私たちは何があっても共に居ると、そう誓い合ったはずなのに。君が金烏であるなら私は玉兎で、君がいなければ存在することさえ叶わないのに。君は私の人生において玻璃のように光を与え、照り渡る赤日から守ってくれる緑陰のようで、はたまた終日傘の中で肩を並べて雨注ぎの響きを眺めていたいようなそんな存在なのだ。私が死魔であるなら、私は君を骨になんかしたりしない。私は君と一緒なら怨霊になってこの世を彷徨い続けるのも、九泉へと旅立つのもどちらでも構わない。せめて君と死ぬことが叶わないならこの骨を砕いて粉にして飲んでしまいたい。それは私の薬となり糧となり血肉となり"私自身"となるのだ。食人嗜好などないし、他の人間の骨など興味もない。しかし君の骨であろうと肉であろうと、それが君の一部であるなら悦んで飲み干そう。一片たりとも他の人間だろうが死魔だろうが疫神だろうが閻魔だろうが渡してやる気はないというだけだ。

せめて、私があちらに行くことが許されないならせめて彼が福地の園に行けると約束してほしい。ただそれを願うことしかできない。私は棺を抱えたまま手を伸ばし、香炉に挿してある線香をとり火を消した。こうしてまた、私は"彼"を殺すのだ。

"彼"は申し子であった。なにも特別な霊力を持って生まれたわけではない。ただ、神に祈って生まれてきた子供という意味だ。"彼"の両親は恋愛結婚ではないにも関わらず、非常に仲睦まじく枝を交わせている夫婦だった。しかしそんな夫婦仲に反して"彼"の両親はなかなか子宝に恵まれなかった。"彼"の実家は室町から続く五摂家の一つで由緒ある侯爵家だ。ただでさえ民衆の好奇の目に晒されやすい華族あるが故、両親は様々なあらぬ下馬評を投げかけられることとなった。夫の方は貴族院の議員だった父("彼"の祖父である)が陞爵しても大して変わらない給与に不満を抱き、辞職した後息子に自身と同じ思いをさせたくないという情で宮内省の官僚になるように圧をかけられ、親族から悉く浴びせられる期待に気圧されて不能になってしまっただとか。妻の方は家お抱えの運転手や庭師などの数々の男性使用人との不貞をはたらいているだとか、そういった謂れのない噂ばかりが囁かれた。特に"彼"の母親は(私も写真で見せてもらったのだが)末摘花のように淑やかな柳髪の清し女だった。張りのありそうな和膚に瓜実顔で扁桃型の凛とした目元。銀幕の向こうでしか見られない、まさに一流女優のような容貌であったがために噂の信憑性を濃くしてしまったのだった。

両親は親族たちや世間から白眼視され、社会的な地位を失うことを恐れて一刻でも早く子を授かれるよう努めた。それでもなおのこと授かれないので神仏に救いを求めた。生家から三里ほど離れた、あたりで一番高い山の上に立つ神社に赴いた。その神社は遠く過酷な道のりにあるにも関わらず子宝成就で有名なことから多くの夫婦が訪れているという。両親は持てるだけの奉加銀を携えて参拝した。それからひと月ふた月してめでたく懐妊したという。その懐妊した子が"彼"ということだ。両親が後に言うには、母親が懐妊の報せを知る前夜に枕元に影向が現れて受胎を告げたらしいがそれを聞いた私と"彼"はそれじゃあまるで基督教の聖母の≪受胎告知≫のようではないかと笑っていた。じゃあ、母親は処女懐胎か?などとふざけて言いながら。"彼"は母親似だったのではないかと思う。いやしかし父親にもどことなく似ている。東洋人にしては高い鼻や白い肌は母親譲りではないのかと思う。(鼻はともかく白い肌は病床に臥せっていた時の印象で上書きされているんじゃないかとも思ったが)

そうして"彼"は由緒正しき侯爵家の継嗣として生を受けたのだが、"彼"は境遇ゆえに奇妙な環境に置かれることとなった。前述の通り"彼"の祖父は自身の息子を貴族議員ではなく宮内省の官僚になるように圧をかけ(圧などというには若干の誤謬があるのだが便宜上圧と言わせていただく)息子は当然ながらしかし渋々といった感じでそれに従い宮内省の高級官僚となった。孫である"彼"も自身の望む通りに動かそうと目論んでいたようだった。"彼"を父親と違って学者にさせたがっていたようだった。"彼"が国語の試験で満点を取れば、きっと将来は言語学者か文学者だなどと意気揚々と言ったらしい。それ限りのことではなく、"彼"が読書をしていたり知らない熟語を辞書で引いているのを見かければそのたびに同じことを言うなど、ある種痴呆を疑うようないささか常軌を逸した圧をかけていたようだ。幼目から見ても"彼"の祖父は"彼"にとって繋累としか映っていなかっただろう。そのうえ"彼"の母親が流行り病で急逝すると、それに拍車をかけるようにますます圧が強まった。その祖父の期待に応えたのかは分からないが、"彼"は蛍雪を怠らず学業では常に首席を維持し続けた。どの分野においても白眉の才を持つ"彼"を教師たちも親族たちも揃って称賛し、将来はさぞ大物になると、さすが侯爵家の長男だと言った。

しかし、それらの称賛を受け止め謙遜している笑みの裏で"彼"の精神はかなり蝕まれていた。親族や世間の期待を一身に受けるというのは並大抵の胆力で出来ることではない。過度な賛辞と翹望は人間を堕落させる。それは思春期の"彼"にとってあまりにも重たく、自身を桎梏するものでしかなかったのだ。私も"彼"と同じく侯爵家の長男だからその苦しみが嫌でもわかった。手児の頃から兄弟のように育ち、苦楽を共にし、立場が同じであるからこそ私たちは鈴の音が共鳴するかの如く互いを必要とした。まさに肝胆相照らす。臓器のひとつひとつが揃っていなければ正常に働かない人体のように、全身に血を行き渡らせるために心臓が動いているようになくてはならない、そして共にあることが当然である仲であった。

私はきっと何度でも己の行いを悔い、恥じるだろう。なんど夏が巡って来ようが、秋が過ぎ去っていこうが、冬に置いて往かれようが、春を忘れてしまおうが私は幾度でも"彼"の死を思い出し挽歌を認めるのだ。