さよならまぼろし

一次創作サイト

獅子と春風 2

 

貞治六年の師走、春王の父義詮が薨じた。

その二月前に病臥したため、当時讃岐にいた細川右馬頭頼之を呼び寄せ上洛させた。

道誉や赤松、鎌倉公方で義詮の弟である基氏の推挙によって管領へと就任するためである。高経と義将はというと、その一年ほど前に高経の失策と道誉中心の反対派閥による讒訴によって失脚し、越前へと逼塞したのだった。その後義詮は管領を置かずの執政であったが、まだ幼い春王の補佐として頼之を選んだ。

春王は義詮の今際の時に枕元に呼ばれ三献祝着を行ったのちに剣を与えられ、継承の儀を終えたが、二豎に蝕まれた父の顔はこんなものだったろうかと思ったことを覚えていた。病のせいで顔がやつれていたせいという意味ではない。そもそも春王は父の顔をちゃんと見たことがなかったのだ。短い間だがともに過ごしたことはあった。しかしそれも本当にほんの少しで、春王が義詮に父親らしいことをしてもらったことなど数えるほどしかなかった。義満が後から思うのは、つまり己は”父への愛着が薄い”ということだ。義詮が一体どれほど春王のことを想っていたのかは今となっては考えようもない。頼之を呼び寄せたことも将軍家の継嗣として今後の展望を期待していたのは確かだ。しかし、春王自身に対するものとして何かがあったのかという問いに対して明確な答えは出せなかった。

 

そして年が明け、応安元年冬。

三条坊門の御所に突如として幼子の泣き声が甲走った。御所中に響いたと思わんばかりの声に一角で政務をしていた頼之は筆を止めて反射的に耳を塞いだ。

もう今日何度目かわからない泣き声だ。いつものことかと頼之は嘆息しながら眉間に皺を寄せた。

声の主は今年五歳となる乙若であった。乙若はひとかど癇が強く、一度泣き出すと乳母や女房の手に負えなくなる有り様だった。生母である良子のもとを離れ、日中は御所で過ごすことが多いため乙若の泣き声が響くのは今となっては日常茶飯事と化していた。

乙若が癇が強いわけは生まれつきのものである以外にもう一つあった。

「春王さま、何をされているのですか!!」

冬の風を遮るために蔀の下ろされた部屋の中に今度は女房の声が響き渡った。部屋の真ん中には二人の童、春王と乙若だった。春王の手は乙若の頬を引っ張っており、当の乙若は大粒の涙を流しながらわあわあと泣き喚いていた。

春王は一月ほど前に微恙で臥せっていた。風気のようなもので大事には至らなかったが、先代が薨じたばかりで今後元服と将軍宣下を控えているということもあり、御所内の空気は緊張し実相院の覚雄、増仁に平癒のための祈祷をさせた。祈祷の甲斐あってのことかはわからないが、春王は無事に恢復したがそれ以来乙若を泣かせることが増えていた。以前から苛めて泣かせることがたまにあったが、病にかかってさらに増長されたようだった。もう元服前だというのに、春王はいつまでも童のままだった。女房たちが注意しようにも春王は聞き耳持たず、乙若もなかなか泣き止まないため日々どうすることもできず疲弊するばかりであった。

乙若の傍で女房がおろおろと見回していると、廊から大きな足音がした。その堂々とした足音の主はこの御所内で一人しかいなかった。

「乙若様の泣き声は今日も元気はつらつですなぁ!」

先刻までの空気を打ち壊すごとく現れたのは佐々木道誉だった。尊氏、義詮に渡って仕え、幕府の重鎮としても目されるこの功臣はある意味老獪で強かな男でもあった。今は息子の高秀に家督を継がせ隠居している身のはずだか、ちょくちょく御所に用向きと称して参上するのが毎度のことだった。齢七十を超えていながら歳を考えさせないほど内面は若々しいところがある。

道誉は春王と乙若の前に膝を着くと、目線を合わせた。

「春王様はずいぶん乙若様のことが気になるようですな。これはまことに弟君のことが好きと見た」

ハハハと笑う道誉の言葉に春王は図星ではあったが、素直になれない童心からか頷くことはせず俯いて黙っているだけであった。

「良い良い。興味がないよりも興味を持ってちょっかい出しているほうが兄弟らしいもの。仲良きことは良いことじゃ」

道誉は今度は一旦落ち着き、しゃくり上げている乙若に向き直った。道誉は豪快で覇気があるが、人に威圧感を与えるような気風ではなく春王と乙若に対しては好々爺ともいえるところがあった。

「乙若様は兄君から嫌われているとお思いかもしれんがそうではないのですよ。ただのやきもちでしょう」

道誉は春王を見て「な、春王様?」と問いかけた。春王なりに恥ずかしさのようなものを感じたのか、顔を上げて乙若にばつの悪そうな視線を送った。

「…余はうらやましい。乙若が」

「ほうほう」

「乙若は母上と暮らしておる。でも余はちがう。余は母上とは滅多に会えんのに、乙若は毎日母上に会える。だというのにいつも泣きわめいてばかりで…腹が立つのじゃ」

「最近ずっと泣かせてばかりだったのもこの前の御病気のせいですかな」

病に臥せったことで不安な気持ちがますます大きくなったのかもしれないと道誉は察した。弟を愛しく思う気持ちと同時に昔からあった小さな嫉妬の念が今になって発現したのだと考えた。本当にどこまでも童らしい、いわけない心根だった。

春王の目は今にも涙が出そうなほどに潤んでおりぐっと我慢しているようだった。道誉は春王と乙若を引き寄せると思いきり抱き締めた。強い力に春王は思わず眉を顰めた。

「ご両人よ、これから道誉が言う言葉、よく覚えておられよ」

道誉は二人の目を交互に見て落ち着いた声色で話し始めた。

「貴方がたのお祖父様とその弟御である大叔父様はかつて相睦まじかったが訳あって対立することとなり、終いまでその仲を修復することはできなかった。そして、お父上とその伯父御も激しく争うこととなり、またしても相容れることはありませんでした」

二人の祖父と大叔父である尊氏と直義、そして父親とその庶兄である直冬のことだ。道誉は彼らの熾烈な争いを見ていたからこそ、兄弟間で対立することの惨たらしさをよく知っていた。

「兄弟とはいえ余人。考えが違うこともあれば、上手く伝わらず衝突することも譲れんことがあって当然よ。しかし、血を分けた兄弟だからこそ心強い同志となるのもまた必定。何者にも代えられぬ存在なのです」

春王は道誉の言葉に口を挟むことなく自然と黙っていた。乙若も涙はとうに止まっていたようだった。

「春王様。弟は宝ぞ。今は弟君を羨ましく思うかもしれぬがやがて貴方の助けとなりましょうや。いついかなる時も弟君を案じ、守ってあげてください」

「余が…乙若を?」

「ええ。春王様は乙若様のことが好きでしょう?」

春王は視線を右往左往させて暫し黙った後、少々気恥ずかしそうに「うん」と答えた。

「では、大人になった後もずっとその気持ちを忘れぬことです」

道誉にまっすぐな目で言われ、春王は不思議な気持ちになった。

この先の己がどうなっているのか想像することはできなかったが乙若はどうなっていって、どのような関係でいられるのだろうと考えた。乙若がどんな人間になったとしても己は乙若を守り、愛してやれるだろうかと思った。

「乙若様。兄は鑑ぞ。何があろうと兄を敬い支え、尽くすのです。きっと春王様が大きくなり大君となった後もこの方に従って間違いはないでしょうから」

普段泣く以外で声を発することのない乙若がなにか言葉を紡ぎたそうに口を動かしたが、やっとのことでうんと小さな声で頷くとそれきりであった。

しかし乙若の顔は珍しく満足げであった。まだ分別もつかない童ではあるが、道誉の言葉には思うところがあったのかもしれない。幼心ながら己が大きくなった姿を夢想して柔らかに微笑みがこぼれた。

春王と乙若は、道誉の腕に抱かれながら銘々に異なることを考えていた。

 

「佐々木殿」

道誉が二人の許を辞すると、突然後ろから声がかかった。

「これはこれは、細川局殿」

そこにいたのは頼之の妻で今は春王の乳母である有子だった。頼之とは歳の離れた若妻だったが仲睦まじく、春王からも慕われていた。

「もしかしてずっと聞いておりましたな」

「…わかりましたか」

有子は袿を胸元に引き合わせて困ったように笑った。この乳母は養君を慈しむ心が深い故に春王と乙若のこともずっと気にかけていたようだが、上手く干渉できていなかったのだ。

「佐々木殿、ありがとうございました」

「なんのことかな?」

「春王様と乙若様のことです。恥ずかしながら、私は春王様の乳母でありながらどう致すべきなのか困っていましたから。情けないことではありますがまことに助かりました」

「お二人のことで思うことがあったのは儂も同じ。それにこれからの将軍家のことを考えれば、あの兄弟に説くべきことは数多ありますからな。儂はそのうちの一つを教えたまでよ」

そう言い立ち去る道誉の背に有子は言葉をかけた。

「それは、あのお二人に等持院様や宝筐院様のようになってほしくないという気持ちもあるのでしょう?」

道誉は足を止めて振り向くと莞爾と笑うだけだった。立ち去ったその背中に有子は本当に不思議な御方だと思った。



同年四月十五日、春王は十一歳で元服を迎えた。松唐草の白狩衣と紫指貫袴を着用して出御し、加冠の座にて頼之が烏帽子親となり、理髪を頼之の従弟である業氏が努めた。この日の元服の儀については新君の首途ということもあり、盛大に行われた。切り落とした髪を収める打乱箱は唐渡のもので、菊や貝の蒔絵が施されており、内側には錦が張られている。笄は鹿角製、白絹の手巾、泔坏は唐花鳥が彫られた銀器で掌燈には白木に松鶴が描かれているなど趣向を凝らした尤物を沢山用意していた。

春王の元服の儀は厳粛に執り行われ、頼之はこの前後に右馬頭から従四位下武蔵守へと任官された。

諱においてはこれより前に主上より宸筆で義満という名を賜っていたため、これを機に春王は”足利義満”となった。

さらに同年の年末、小除目において左馬頭だった義満がついに征夷大将軍に任命されることとなる。その時にはすでに義詮の死から一年を迎えていた。