さよならまぼろし

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かりそめの幕引きを終わらせて

 二十日に及ぶ後小松天皇による行幸が終わり、愛息子である鶴若が元服し、義嗣と名を改めてから数日経過したのち、足利義満がにわかに体調を崩した。 

山科嗣教の元服の儀を執り行った後に咳が出始め、風気かその時は軽いものであったが夜にかけて次第に重くなり、翌日には誰にも対面せず自邸の北山殿に籠る有り様だった。 

その後平癒のための神楽を石清水八幡宮惣社に命じて奏したり、祈祷を行わせたが一向に恢復の兆しは見えず依然として居室で臥せっていた。そして七日経った日の昼、危篤に陥った。しばらくしても目を覚まさないため、侍医は死亡したと判断し、その報せを伝えるための使いも出されたが晩になって蘇生したのだ。 

公武ともに見舞いの客が連日来たり、文を寄越して来たがごく一部の者を除いて北山第には人を入れさせないようにしていた。一部の者以外には同居している妻の日野康子と足利義嗣も含まれていた。 

自室の前には見張りを置き、何人たりとも簡単には入れぬようにされていた。康子は病で臥せっている夫の顔すら見られないことを嘆き、やって来るたびに物憂げな顔をして近づいてくるものだから毎度嘆息していた。義嗣も義母と同じく悲しそうな顔をして、不安げに父の容態はどうかと訊ねてくる。残されている猶予は多くはなさそうだなと満詮は思うのであった。 

満詮がいつものように北山第の常御殿に来ると、義嗣がゆっくりとした足取りで近寄ってきた。眉が下がって、普段よりいっそう神妙な顔つきをしていた。 

「あの…叔父上」 

元服したばかりでもあってか、顔つきはまだ幼く端整ではあるが父と似ているとも言いにくいものであった。本当にあの人の血を引いているのかと満詮は疑いたくもなったし、少し前まで寺に居たとはいえ、おおよそ武家の子らしくもないなと思った。 

「何だ」 

満詮の平坦な声色に義嗣は少し気圧されたように身体を竦ませた。 

「父上には…まだお会いしてはならないのでしょうか?」 

「まだだ。目を覚まされてそんなに時が経っていないのだ。まだあまり人に会わない方がいい」 

「でも…」 

「御体の負担になってしまってはいけない。そなたも父上が無理している姿を見たくはないだろう?」 

そう告げれば義嗣は押し黙った。満詮の勢いに押されたのか、これ以上何を言っても聞き入れてもらえないと思ったのかは知らないがただ一言「はい…」と返事をするだけだった。 

俯く義嗣に「元気になられたらお会いできるからそれまで待っていろ」とだけ伝える。それを聞いて義嗣は顔を上げて嬉しそうに微笑んだ。義嗣をこれまで嚮導してきた父が命の瀬戸に立っているのだ。気にかかるのは当然だ。 

騙してしまったことに満詮はいくらか良心が痛んだ。仕方ないのだ。甥を欺いてもやらねばならないことがある。 

満詮は義嗣に背を向けて歩き出した。義嗣には悪いが、目覚めた義満に会うことも、次再び眠ったらもう目を覚ますことはないだろう。この事を起こしたのは満詮本人なのだから。 

 

事を思い立ったのは一年半ほど前、応永十三年の年末だった。 

後小松天皇の生母三条厳子が危篤に陥った。父である後円融天皇はすでに亡くなっており、在位期間中に母も薨じてしまうのは諒闇となってしまい、たいそう縁起が悪い。なので代わりに准母を立て、天皇の母はなおも存在するということにしようという話になった。そこで白羽の矢が立ったのが北山殿として公武の頂点に立ち、朝廷での権力を掌握している義満の妻である康子であった。康子は准母となり北山院の院号が宣下され、提案した日野重光が義満に太上天皇の尊号を贈るという案も出したが結局その時には実現しなかった。 

件の話を聞いて、満詮はまずいことになったと思った。義満は自身の心の内をごく近しい人間にすら話したことがほとんどなかった。義満と満詮は非常に親しい間柄であり、かつては以心伝心といえるほどだった。しかし、最近の義満に関しては満詮でさえ何を考えているのかもわからず、心の内を伝えられたこともなかった。恐らく、自身の持つ野望を誰とも共有せず、すべて己一人の力だけで成し遂げようとしているのではないかと考えた。 

実に義満らしい考えだと思ったがそれは実に危険なものでもあった。義満はとうに出家していながら、依然として公武における絶大な権力を持っており、専横ともいえる行動が目立っていた。 

誰にも伝えていないことは誰も察知できないことでもある。もし義満の思い望むものが誰にも止められぬものであった場合、もしかしたら取り返しのつかないことになってしまう可能性がある。そうなってしまう前に止められる人間が止めなければいけない。 

義満の業が義満の一代限りで終わるならそれで良い。しかしそれが天皇家や将軍家の今後に累として及ぶなら?息子の義持の障害となってしまったら?そう思い至ってしまえば、満詮が答えを出すまではそうかからなかった。 

満詮がそれを実行するために相談したのは斯波義将であった。足利尾張家の出身で長く幕政において義満を補佐してきた男だった。義満にも腹心として頼られているため、このことを伝えられるのは義将しかいないと思った。 

満詮は勘解由小路にある義将の邸に赴き、その一室で密談に至った。 

義将は義満が出家した際に同じ時に出家し、家督も息子の義重に譲っていた。義将は満詮の話を聞いて居心地が悪そうに眉根に皺を寄せた。 

「それはつまり、北山殿を亡き者にしようということですか」 

満詮は腕を組んで一つ息を吐いた。 

「単刀直入に言うとそうなるか」 

義将からすれば心苦しいことではあるだろう。義満が年少の頃から知っており、歳も近いことから主君でありながら弟のようなものだと思っている節もある。義満の昨今の動向に思うところはあれど、手をかけてしまうのは避けたいと思うのはおかしなことではない。 

「良いでしょう」 

義将の思わぬ言葉に満詮は瞠目した。 

「北山殿がああなってしまった一端を私が背負っているのは確か。将軍家を次代へと継承する責務を担っている以上、その差し障りとなるのならば始末をつけるのも致し方ありませぬ」 

「そなたにとっては決して気持ちのいいものではないと思うが…すまん」 

「小川殿が謝られる必要はありません。これも命運の尽きです」 

最終的にこの計画を知るのは満詮と義将だけとなった。実行するのは機を見てからとのこととなったが、何を用いようかという話になった。弟として、満詮は義満に苦しみながら絶命してほしいとは思っていなかった。兄に憎しみなど微塵も抱いていない。ただ足利の今後を考えて行うことだ。だから出来る限り自然で、苦しむことなく逝ってほしい。刃傷沙汰を起こすのは駄目だ。騒ぎになるし惨いことになりかねない。そこで毒を使うことを考えた。しかし、生憎死に至らしめることができるほどの毒物は存在しない。しかも毒で殺すとなればそれほど強いものであるため、服用すれば苦しむのは当然だ。さあどうしたものかと悩んだ。そこで義将が旱天慈雨のごとく提案をした。 

毒は毒だが、特殊な毒だ。掌ほどの大きさの小刀で切っ先に毒を塗ることで用いることができる。義将が越前国から呼び寄せた男が持ってきた物で、おおよそ医者には見えない風体に偽物を掴まされてはないだろうかと気になったが他に代替案もない以上、これに頼るほかなかった。 

そしてついに卯月の終わり頃、機は熟し決行に至った。義満は咳気になり、床に臥せった。誰とも会おうとせず邸に籠ったことを聞いて今しかないと思った。 

満詮は義満を訪い、好物でもある瓜を見舞い品として持参した。その時の義満はいささか顔色が悪いものの、そこまで重篤ではない様子だった。満詮が瓜を切ろうということで例の小刀を出した。切っ先にはすでに毒を塗っていた。瓜に切っ先が当たろうとした時、満詮は大きく”手許を狂わせて”義満の左の手の甲を傷付けた。幸い深い傷ではなかったが、肌には一文字に線が入り血が流れた。痛みはほとんど無いようで義満は己の傷を見てそう驚く様子もなく、「ああ、傷がついてしまったな」と笑うだけだった。満詮は即座に謝辞を述べ、端女を呼んで手当をさせた。瓜は腐っていたということにして全く新しい別のものを渡した。それから少し話をして、早々に退室した。傷をつけてしばらくはあのまま。あの毒が本物ならば時をかけて全身に回り、ゆっくりと体を蝕んでいくという。毒が偽物ならば、数日経てば痕も残らず消えるだろう。事が望み通り運ぶかは、毒の真偽にかかっていた。 

 

そして義満は日が経つごとに容態が悪くなっていき、ほぼ毎日見舞っていた満詮は日毎に弱っていく兄の様子を克明に目に焼き付けた。 

ついに七日目、義満はいよいよ重篤な状態に陥り、意識を失った。声をかけても、体を揺すっても目を覚まさない状態が数時間続いたのを見て医者は死亡したと判断した。義満が眠っている間に傷を確認したが、数日前にほんの小さい線であったものが大きく広がり、周囲の皮膚は赤黒く変色していた。間違いなく腫脹している。恐らく膿も出ているのだろう。この状態ならば手を動かすどころか、何もせずとも痛いだろう。満詮は痛ましい兄の姿を見て胸が締め付けられた。毒は本物だった。それを実感した満詮は自分のやったことの重大さも同時に知らされたが、もう後戻りはできないのだと腹を括った。 

義満が死去したと聞いて満詮もその通りなのだと信じた。しかし事実は違っていた。死の宣告の数時間後、義満は蘇生した。死んでいなかったのだ。 

これには満詮は愕いた。まさかこの状態になって息を吹き返すとは予想していなかった。生き返ったのは未だ義満の命運が尽きていないのか、それとも天が満詮を見放したか。こうなってしまっては今後どうなるか分からなくなったと思った。しかし一度実行すると決めたことを一度想定外のことが起きた程度で完遂しないのは不可能だ。これは将軍家の命運がかかっている。最後までやり遂げるのが礼儀であり、兄への贐だと思った。引導を渡すのは、弟である満詮の役目だからだ。 

 

皐月の良く晴れた日の昼、満詮はいつものように北山第の義満を見舞った。 

義満が息を吹き返して二日経っていた。義満はなんとか蘇生したものの、全快するなど都合のいいことは起こらず目に見えて衰弱しているのがわかった。まともに食事を摂っていないせいか頬は痩せこけ、顔面は青白くなっていた。体の線は弱々しい線を描き、まるで生気が感じられない。全身が強張り、人の手を借りないと体すら動かせなかった。会話しようとも声は掠れてほとんど発さないため、少し前までの元気はどこへ行ってしまったのかというほどの変わりようであった。まるで別人である。相変わらずごく一部の者だけが見舞うことを許可しているが、満詮は毎日のように訪れ、こうして兄に声をかけていた。義将は蘇生した次の日の朝に訪れたが例のことを察知されないように少しだけ顔を見せて早々に退出させた。満詮は義将には出来るだけ義満の弱っている姿を見させたくないと思ったのだ。義将が衰弱した義満を見た時にわずかにした悲痛の表情は未だ脳裡に焼きついていた。 

「兄上、聞こえますか。時鳥の鳴き声がしますよ」   

満詮の声に義満は床に臥せったまま、視線だけを寄越した。ゆっくりと満詮の方を見たのちに外の方へ顔を向けた。 

初夏にはまだ早いが、時鳥の鳴き声が聞こえ始めていた。 

「兄上、白楽天の『琵琶行』をご存じですか。白楽天が左遷された潯陽の地で出会った琵琶弾きの女の境遇を己の身に重ね合わせて詠んだ詩なのですが、その一節に”杜鵑は血に啼き猿は哀しく鳴く”というものがあるんです」 

字は違うが同じく”ほとどぎす”と呼ぶ漢字に”不如帰”というものもある。蜀の望帝杜宇はその死後ほととぎすとなり、蜀が秦によって滅ぼされたことを知り社宇は嘆き悲しんで、”不如帰去”と血を吐くまで鳴いたという伝説にちなむものである。 

「兄上は最近すっかり話してくれなくなりましたね。もう声も出せないのですか」 

満詮は衾に投げ出され、か細くなった兄の腕を見つめた。傷を隠すために広範囲にわたって布が巻かれているが義満もその下がどうなっているかということくらい分かっているはずだ。これが、ただの病などではないことを。 

「杜鵑のように血を吐いてでも私に言いたいことがあるのではないのですか」 

そう言った途端、義満は満詮に視線を向けた。眉も目も以前よりいっそう垂れ下がり、元あった覇気などどこにもない。 

「…なんとなく気づいていた。なぜこんなに長い間治らず臥せっているのか。ここまでこの手が痛むのか…」 

義満は囁くように言葉を紡ぎながら左手をわずかに持ち上げた。痛みと手の震えのせいで顔が歪む。義満はとうに満詮のしたことに勘付いていた。 

「…余はそなたから恨みを抱かれていたのだな」 

「違う、それは違います。兄上。私は何も兄上が憎くて斯様なことをしたのではありません」 

義満の弱々しい言葉に満詮は即座に否定した。義満を憎いと思っていないのは本当だ。確かに長い間兄弟としてともに過ごしていれば不和もある。義満に煮え湯を飲まされたこともあった。肉親ゆえの愛情と憎しみの狭間に置かれるような思いをしたこともある。しかし、それでも満詮は兄のことが好きだった。結果的に己は義満の弟として生を受けて幸せだったのではないかと思っていた。 

「これもすべては将軍家の、足利のためなのです。最近のあなたは些か専横が過ぎる。それを看過していれば将軍家ひいては天皇家にも害を及ぼしてしまう。だから私はそれを止めようと思った」 

義満はただ何の感情も感じられない目で満詮を見つめていた。 

「兄上からすれば私のしたことは許せないでしょう。でも私はもっと周りの者のことを…義持のことを考えてほしかった」 

義持は義満から家督を譲られて室町殿となっていたが、義満が実質頂に君臨して権力を掌握していることには変わりはなかった。最近の義満は義嗣にばかり目をかけ、義持に対して待遇が疎かになっている部分もあった。そんな義持も父に反発するようになっていた。顔を合わせてもまともに話をしようとせず、しても口論になることもしばしばあった。満詮はそんな義持に対して、義満の代わりに父としての役割を果たしているとも過言ではなかった。政にばかり注視し、息子を顧みようとしない父に振り回される義持を放っておくことはできなかった。義持は父からの愛情をずっと欲していたのだ。 

「余は…ずっと義持のことを考えていた。しかし彼奴にばかり目をかけると義持のためにならないと思ったのだ」 

「ではなぜ義持本人にそれを言ってやらないのです!あの子は貴方からの言葉を待っていたのですよ。義持は…貴方から愛されたいと思っていたのに…」 

病人の前にも関わらず満詮は声を荒げてしまう。一度思いのたけを表に出してしまうと抑え込むのは簡単ではなかった。 

「思うだけでは駄目なのです…口に出して、行動で示さなければ…伝えたいことも相手に伝わらないではありませんか…」 

「義持はそなたが気にかけているし、義持から嫌われているからな…余から気にかけられても迷惑なだけだと思っていた」 

「そんなはずないでしょう…親から気にかけられて嫌だと思う子がいるわけないじゃないですか。なぜあなたは有能のくせに身内のこういうことに対しては鈍いのですか…」 

「はは、すまぬ。すまぬな…満詮」 

義満は空笑いをして天井を仰いだ。満詮は目が熱くなっていくのを感じた。 

「なあ満詮…余はどこかで過ちを犯してしまったのだろうな。でもどこで誤ってしまったのか見当もつかぬ。常に最適解を選ぼうとしていたつもりだった。しかし余は…何を誤ってしまったのかここにきても分からなんだ。そなたならわかるか…?」 

満詮は堪らなくなって義満の体にしがみついて顔を埋めた。 

「兄上は…兄上は何も間違っておりませぬ。貴方のせいじゃない。私たちが間違っていたのです。だからこうしないといけなくなってしまった」 

満詮は衾が汚れることも構わず涙で濡らした。泣いたのはいつぶりだろうか。ただ年端もいかぬ童だったころは些細なことで大泣きしていたというのに成長とともに泣かなくなってしまった。 

“乙若様。兄は鑑ぞ。何があろうと兄を敬い支え、尽くすのです。きっと春王様が大きくなり大君となった後もこの方に従って間違いはないでしょうから” 

今までどれほど思い返したかわからない言葉が脳裏によみがえる。あれから数えきれないほどの年月が経った。泣かなくなったのもこの言葉を聞いた日からだったような気がする。満詮は常にこの言葉と生きてきたのだ。 

「みつあきら…そんなに泣くな。かなしいなら余がそばにいてやるから…弟は…たからだからな…兄がまもってやらねば…」 

義満は手を伸ばして弱々しくも満詮の頭を撫でようと動かした。やっとのことで触れた手から感じる温もりは風前の灯火のようにわずかなものだった。満詮は堰を切ったように声を上げて泣いた。 

 

応永十五年五月六日、足利義満が齢五十一歳で薨去した。蘇生してから二日後のことであった。 

朝廷は義満に太上天皇の尊号を贈ったが、斯波義将が辞退したことで結局贈与されることはなかった。