さよならまぼろし

一次創作サイト

千日紅が咲く季節には 2

「啓太ーこれ仕分けするの手伝って」

数学の課題を終わらせてまずは一区切りと台所にやってくれば母に呼び止められた。テーブルには色とりどりの花や新聞紙や鋏、紙が広げられている。

「俺今から勉強するんだけど」

吐き捨てるように言うと母は花を包んだ紙の上にどこからか持ってきた国語辞典を載せながら「すぐ終わるから。休憩がてら良いでしょ?」と返した。この作業が休憩のうちに入るのか、という言葉を飲み込んで黙って母の隣に座った。目の前には叔母が母と同じように作業している。母は数年前から手作りの押し花やドライフラワーといったものをフリーマーケットやネット上で販売している。もともと器用で細かい作業が得意な母の作品はそれなりに人気があり一定の収入がある。そんなこともあってか叔母と同様に母の作業の手伝いをさせられることが多い。しかし叔母はたまに帰省した際に会う程度なので母の手伝いの頻度といったらこちらの方が多い。テーブルに無造作に置かれていた作品を種類ごとに仕分けていく。母も叔母も黙々と作業しておりその場には縁側の風鈴が風を受けて鳴る音と蝉の鳴き声だけが聞こえる。

「あれ?そういやじいちゃんと香織は?」

「香織は酒屋におつかい。おじいちゃんは向こうの部屋にいるわよ。あ、そこの図鑑とって。」

テーブルの端に置かれている植物図鑑を手に取った。その図鑑を見てあることに気づく。今まで使っていた図鑑とは違う。今まで使っていたものは母が十数年以上前に購入したものでページが縒れていたり擦れていたりと状態が悪かったのに手に取った図鑑は見た通り新品で汚れ一つない。

「図鑑買い替えた?」

「そうそう、今度の薬草検定受験するし折角の機会に新しいの買っておこうと思ってね」

「また受けるのかよ…」

「またじゃない!この前受けたのは漢方検定だから」

漢方検定も薬草検定も似たようなものじゃないのか。母はそれなりの歳でありながら検定だの資格だのそういったものに執心しており普段植物を扱っているせいかそれに関連して薬草だの漢方だのに詳しい。昔から母が身につけた薬草の蘊蓄を聞かされているせいか自然と自分までそれらにやたらと詳しくなってしまった。誰かに知識をひけらかして自慢できるようなものでもないし、都会育ちの自分にとって野山を駆け回る子供に対してぐらいしか役に立たないんじゃないか?と思う所存である。

「俺ちょっと散歩行ってくる」

仕分け作業を全部終えたので近所を少し歩いて来ようかと席を立った。「夕飯までには帰ってきなさいよ」という母の言葉を背に靴を履く。手元のスマートフォンには"18:07"の数字を表示している。スマートフォンにポケットにしまって玄関を出ると外はまだまだ明るく蝉も変わらずうるさいほど鳴いている。日が傾き始めているもののこの季節なら日が沈むのは一時間ほど先だ。気温も若干下がって歩くにはちょうど良いだろう。

祖父の家があるこの町は郊外にあるためか都市部に比べて静かで長閑な地域だ。町一帯が山に囲まれていて緑豊かなこの地域が自分としては嫌いじゃなかった。ここから少し離れているか向こうには海があり高台から海を見下ろすことができる場所もある。祖父も都会の育ちで定年退職してからこの地に一軒家を建てた。祖父がこの地を気に入るのも分かる気がした。

住宅街を抜けて坂道を登っていくと空き地が見えた。草が生い茂っていて長らく放置されていることが分かる。丘になっていてここから町を見渡すことができる。一帯に広がった家々の向こうには傾き始めた太陽が地平線に向かっている。ここ数年は無沙汰だったものの余り人が来ない穴場なので好きな場所だ。

ふと気になって丘の下を見下ろす。三、四メートルほどの高さはがあって崖ではないだけましだが思わず足が竦みそうになる。下をしばし見つめていると緑色の中に一つだけ紫色がのぞいていることに気づいた。それが気になって体を乗り出す。ここには柵もロープもないため落ちるのは容易だろう。草の中に一輪だけ咲いている赤色の花を確認してあれが何の花だったか思案する。もっと近くで見たいと足を踏み出したその瞬間体ががくんと前のめりになった。あ、まずいと思ったのも束の間バランスを失って草の上を転がっていく。大きな衝撃と交互に空の青と草の緑が視界を覆って三、四メートル下の地面に体が叩きつけられる。体のところどころに痛みが走る。しまったな、と思いながら意識を手放した。