さよならまぼろし

一次創作サイト

触れる

 

この季節は暑い上にじめじめとしていて雨が多い。
昔は『修練で頼之にしごかれなくて済む』と喜んでいた義満だったが今となっては悪いところしか見当たらず、梅雨の気候のせいで連日降る雨にすっかり嫌気がさしていた。
「よしゆきー…」
花押を添えた料紙を指で弄りながら己の背後にいる義将に向かって間伸びした声を投げかける。投げられた当人は仕事に集中して聞こえていないのか、それとも毎度のことに辟易してあえて無視しているのか振り向くことも返事することもなかった。毎日、執務となれば『仕事をしろ』だの『字が汚い』だの『丁寧にやれ』だの耳が痛くなるほど小言を言われている身としては義将が黙っているという状況は好ましいはずなのだが己が呼びかけているのに無視をされるというのは義満は是としなかった。
義満の目は義将の背より上、項にいった。傾らかな稜のように線を描き、あまり日焼けをしていない滑らかな皮膚を凝視した。普段は背後からこんなに見つめることも無いせいか別段特別なものは無いのに義満は自然と惹かれた。特に襟足の柔そうな毛との境にある部分が気になった。義満は思わず手を伸ばして義将の項に触れた。肌自体は柔くはないが妙な触り心地でもっと触りたいという気分にさせた。まるで愛撫するように指の腹でしばらく撫でていると、それまで微動だにしていなかった義将がばつの悪い顔で振り向いた。
「…何をしているのです」
「そなたの項を触っておる。悪くない触り心地だ」
義満が面白そうに笑って言うと義将は歎息した。この若い将軍は突拍子もないことをするのはいつものことだったがいつにも増して頓痴気なことをすると思ったのだ。
「仕事は終わったのですか」
「もちろん」
義満が短く返事をすると義将は「そうですか」と言うだけでそれ以上は何もせず再び手元の執務に意識を戻した。咎められなかったのをいいことに義満はそれからしばらく義将の項を触り続けた。

(あー…暑い)
義満は廊から青々とした空を視界を覆った手越しに見上げた。
今日は雨も降らず、ここ数日の天候とはうってかわり清々しいほどに晴れた。雨が降るよりかは幾分マシだが蒸し暑いことに変わりはない。奥御殿へと繋がる日射しの当たらない渡殿へ移動すると幾分か風が吹き、涼むのに丁度よい場所と義満は思った。
しばらくその場にいると背後から足音が聞こえてきた。
「御所」
ふと聞こえた低い声に義将だな、と気づいて振り向こうとした時に外の熱気が嘘だと思うほど冷たい指が義満の項に這わされた。
「ぎゃっ!?」
思いがけない感触に義満は廊に響かんばかりの声を上げた。素っ頓狂な反応が予想外だったのか義将は口を抑えて笑った。
「…御無礼。まさかそんなに驚かれるとは」
普段の鉄面皮からは想像できないほど口の端をわずかに吊り上げ、不敵に笑った。
「先日の仕返しですよ」
そう言い残し立ち去っていく義将の背を義満はただ睨むばかりだった。
「…この野郎」
忌々しげに独りごちながら、義満は触れられた箇所に手を回し、先程の余韻を逃さないようにしばらく触れていた。