さよならまぼろし

一次創作サイト

2023-01-01から1年間の記事一覧

黒い虚の中にそれはぼうっと浮かび上がっていた。 白い人魂のようにも、あるいは夏日の陽炎のようにも見えるゆらぎが一瞬のうちに千々に梳かれていく。糸が乱れに乱れて何の形を成すのかと考える暇もなく目の前でそれは突然大きく化生した。先刻よりもさらに…

恋しさのためし

「一条大納言、今日は特別に余を好きにしていいようにしてやろう」 人を追い払った室町第の一室で義満はにこやかに宣言した。その向かいに座して呆れたように溜め息を吐いた。 「藪から棒になんですか」 「そなたには日々世話になっておるからな。たまにはそ…

触れる

この季節は暑い上にじめじめとしていて雨が多い。昔は『修練で頼之にしごかれなくて済む』と喜んでいた義満だったが今となっては悪いところしか見当たらず、梅雨の気候のせいで連日降る雨にすっかり嫌気がさしていた。「よしゆきー…」花押を添えた料紙を指で…

夕霧 / この思い、左様なら

五月十日、足利義満の葬礼は等持院で荼毘に付されたのちに恙無く終了した。昼過ぎに葬送され、拾骨の頃には陽が傾き始めていた。参列人がほとんど帰った寺の庭を歩きながら経嗣は池泉を眺める。緑青に縁取られた水面には陽光の粒が煌々と散らばっていて初夏…

薄氷 / この世界は木陰と太陽の3メートル

ようやく春信の風が吹くかという頃、今日はいつものような寒さはどこへやらと思うようなほどの陽気だった。縁に出てきた斯波義将は庭先にある日差しに切り取られた木陰を目にとめた。黄褐色の福寿草が慎ましく咲いている。もう長らく続いているような冬がも…

紫翠 / 嘘つきは振り返らない

振り返ってみれば自分たち兄弟の間柄は健全と呼べるものではなかった。弟は悪くない。不健全にしてしまったのは他でもなく自分である。初めから歪ませたくて歪ませたわけではない。正しさを求めて選んだものが後から悪手だったことに気づくことはそう少なく…

馴れ初め

日野業子は元は内裏の女官で典侍だった。 しかし主上の御目にかなうこともなくもう二十四だというのに未だに嫁に行けていない。自分を貰ってくれる男性などいないんじゃなかろうか、いっそ尼にでもなってしまおうかとすっかり自信を無くしていた。そんな時、…

花伽藍と春風と初恋

まだ自分が手児奈だった頃、朧げな記憶の中にあの人はいた。邸の庭先に植えてある桜の木の傍に佇んでいる姿がやけに脳裏に焼きついている。私はあの人の姿を見ると乳母の元から離れて一目散に駆け出した。拙い足取りをしながらも近寄ってくる私をあの人は戸…

足利兄弟のバレンタイン

バレンタインが近づいていることをカレンダーで知ると直義は眉間を押さえた。今年もまた”あのこと”を兄に伝えなくてはならない。「もうすぐバレンタインではありますが貰った物を他人に配ることはしないように」仕事終わりにオフィスから出てきた尊氏を見つ…

かりそめの幕引きを終わらせて

二十日に及ぶ後小松天皇による行幸が終わり、愛息子である鶴若が元服し、義嗣と名を改めてから数日経過したのち、足利義満がにわかに体調を崩した。 山科嗣教の元服の儀を執り行った後に咳が出始め、風気かその時は軽いものであったが夜にかけて次第に重くな…

終身名誉の罪業

兄の悪癖が始まったのはいつだっだろうか。厳密には覚えていない。物心ついたころにはもうすでにそれが普通であった。それを疑うことも拒むこともせず受け入れてきた。悪癖なんて言っても結局のところ今も受け入れているのだから自分も甘いなと思う。人の心…

酔生の夢

辺り一面は銀世界だった。 見渡す限り雪に埋め尽くされ、草の緑も土の茶もすべて喪ったような余白が広がっている。 夜中には雨が降っていたが明け方ごろに雪へと変わったのだろうなと考えながら青年はがたがたと建付けの悪い戸を閉じながらその新雪の上へ足…

歴創版日本史ワンライ 2023/1/28 「鴛鴦」

今日はいつにも増して寒い日だった。庭は一面銀化粧され、なおも粉雪が降り続いていた。辺りは人の声すら聴こえてこないほど静謐でたまに炭櫃の中の炭が火に焼べられてぱちぱちと鳴るくらいだ。こんな静かな空間の中で二人きりだというのに縁に座って外を眺…

日本史ワンライ 「争ふ」

事の発端は、ある一通の書札だった。 足利左馬頭義氏入道正義が結城上野介入道日阿へ書状を送ったところ、宛名と差出名に”結城上野入道殿 足利政所”と書いた。すると日阿はその返状で”足利左馬頭入道殿御返事 結城政所”と記した。この書札礼を見て正義は大い…

兄の遺産

義時たちの木霊のような応酬を茫然と眺めていた。会話を聞き流しているわけではないが、耳に入って頭で内容を理解してもそれに対する応答は口から出ることはない。どの声も実朝に向けているようで向けていない、"形のない言葉"だった。「御所」実朝の意識が…

かしましい手

ぬるりとした湿り気が指に伝わってくるのを感じて経嗣は思わず片目を瞑った。意識しなければまるで蛞蝓が指を這いずり回っているかのようだった。舌が皮膚に触れるたびぞわぞわとした感覚が背中から腰にかけて走るせいでややもすると出そうになる声をなんと…

2023/1/21 歴創版日本史ワンライ 「悲しみ」

細川満元の心は”空”だった。すべてのものは移り行き、冬草のように衰え朽ちる。不変のものなど存在しないということを満元は知っていた。知っているはずだった。しかしいざ真に大切なものを喪うとその事実を受け入れることもできず、心が虚ろになってしまう…

獅子と春風 4

四 夕方になり、満詮は兄のいる三条坊門の御所に入った。 昼頃まで激しい雨が降り、一旦止んだが暫くしたのちに再び驟雨が降った。雨が止むのを待って再び降り出さないのを確認して武者小路の小川第を出たのだった。 煌々と道を照らす夕陽は美しく、これを見…

獅子と春風 3

三 雨注ぎの響きに耳を澄ますと、外がうんと遠いところにあるような感覚に陥った。庇から垂れ落ちる雨粒が地面に打ち付けられているのを眺めながら義満は物思いに耽ていた。 永和三年、義満はニ十歳となった。去年、己より年嵩の公家の姫、日野業子を娶り子…

獅子と春風 2

二 貞治六年の師走、春王の父義詮が薨じた。 その二月前に病臥したため、当時讃岐にいた細川右馬頭頼之を呼び寄せ上洛させた。 道誉や赤松、鎌倉公方で義詮の弟である基氏の推挙によって管領へと就任するためである。高経と義将はというと、その一年ほど前に…

獅子と春風 1

己から見たあの兄弟の印象など枚挙に暇がないと言ってしまえばそれまでだった。 口さがなく吹聴する気もないが、だからといって訪ねられて黙るようなことでもなく。付き合い自体は長いのだから何も思わないということの方が寧ろ気味が悪い。では答えればいい…

2023/1/14 歴創版日本史ワンライ「南」

「南御所さま」 康子が北山第南御所にある居室にいると名を呼ばれた。声がした方へ振り向くとそこにいたのは先日薨じたばかりの夫である義満の実子である義嗣だった。康子は義満の正室であった業子の薨去により、後妻として入室したが義嗣は摂津能秀娘である…

2023/1/7 歴創版日本史ワンライ「富士」

今日は今年になって初めての出仕の日だった。朝になって室町第へ入ると、斯波義将の顔を見るなり主君である足利義満がとことこと近づいてきた。そして、義将の顔、というより少し上をじっと眺めた後、顔を思いきり歪める。 「つまらん!」 義満はいかにも面…