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2023/9/1 歴創版日本史ワンライ「相国」

 

 これは足利義満左大臣の職に在ったときのことである。
永徳二年十月のある日、義満は自らの御所に南禅寺住持である春屋妙葩と等持寺住持の義堂周信を召した。この二人の僧は義満がなにより信頼する師であった。
「兼ねてより話を続けているあの寺の件、内裏に奏して院の宸襟を伺わなければならぬ。して、手始めに寺の号を議する必要があると見た。そなたらはどのようなものが良いか申してみよ」
あの寺とは先月から幾度か鼎談していた新しい寺の創建についての話だった。将軍家に縁の深い夢窓国師の三十一回忌の日にふたりを召して「一つ寺を作り十刹に列させ、僧衆を五十人とするのはどうだろうか」と言ったところ、ふたりは大いに賛成した。
今日も創建計画の続きとして名づけの打診をすると、ふたりとも暫し黙考すると妙葩が口を開いた。
「では相国寺は如何でしょう。室町殿は大丞相の職に就いておられますし、”国を相める”と書く相国は室町殿が開く寺として相応しい名かと」
続けて周信が言った。
唐土には大相国寺という寺があります。まさに丁度良いでしょう」
ふたりが推す名に義満も気に入る素振りを見せた。
「ふむふむ、相国寺か。良い名じゃ」
「寺の号には四文字や六文字のものもあります。”天”の意を”承る”で承天相国寺はいかがでしょう」
周信の更なる提案に義満も妙葩も賛成し、名は"承天相国寺"となった。
明くる日、義満は周信を召して新寺の殿堂について話をした。
「建立のあかつきにはぜひ道服を着て入道したいものよ」
義満はしみじみと語った。仏教への帰依の念はもとより深いからである。
「先代の(鎌倉)時代の関東には建長寺円覚寺、都にも南禅寺天龍寺などの寺が建立され、多くの衆を安じました。新寺もただ伽藍を建てて五山に準じるような寺にしてはならぬでしょう。」
「ああ、うんと大きい伽藍を建てたい。のように財を使えればなあ…」
周信の言葉に義満はやや苦々しい顔をした。財政は常に悩みの種だった。
「室町殿は願力をさらに強固なものにする必要がありましょう。例え今世で叶わなくとも他生にあって叶う可能性もあります。古に三度生まれ変わって浮圖を作った者もあります。」
「ほう、面白い。つまり願わねば何ものも叶わぬということか。しかし三度生まれ変わるか。余の願いは他生にあらず今世で成就させてこそのものじゃ。今世で叶えるにはどうしたものかのう」
義満が愉快に笑うと周信も倣って悠然と言った。
「位は人臣を極め、祿は泰山よりも重く、寿量の限り祈らなけばならぬといいます。佛寺を崇建し、僧法を修めるのも同じこと。あなた一人の発心が天下の人の発心であり、あなたが善を好めば天下の人々も善を好みましょう。この世を善で満たしたければ天下人が善良でなくては始まりませぬ」
「将軍は、菩薩になれると思うか?」
義満の問いに周信はただ答える。
「仏の道を信ずれば、何れは不可能ではないでしょう」
その言葉に義満は満足した。そして、新寺が己の願いを込めた期待通りのものになることを願うのだった。