「君は父親に捨てられたんだ」
平坦とした声が風と共に吹き抜けていく。目の前の男の声色は冷たく感情がこも っていなかった。たった一言なのにその言葉は確かに少年が直面している現実を突きつけるには十分すぎるものだった。
「君の父親は君を生置にして一人逃げたんだ。己の親ながらどうしようもない奴だと思うだろう」
少年の父親を明らかに貶している口振りに本来なら、いや以前までなら少年は目の前の男に対して慣っていただろう。しかし少年は確かに父親に裏切られ、捨てられた。ことを理解していた。少年は父親のことを誉て尊敬していた。ゲー ムキーパーとして立派に働く父親を誇りに思い自身も父親のようになりたいと思 っていた。だが少年を捨て去った父親の姿は少年が知っていた父親の姿ではなく、 全くの別人のように思えた。父親が自分と過ごしてきた時間とは何だったのか、 自分は父親にとって何だったのか。そんな返ってこない答えだけが脳裏を過る。 もはや茫然自失となった少年には父親を憎む気力も憐れむ気持ちも湧いてこなか った。
「どうした、怪物を見て驚いたか」
あの時、少年と少年の父親が見たモノは明らかにこの世のものとは思えない形相 をしていた。今まで生きていて一度も見たことがなく、 普通に生きていれば見るモノではなく、あんなモノがこの世に居ることすら考えないだろう。きっとあれにさえ会わなければ、少年と父親は今まで通り過ごすことができ、少年がこのような状況に置かれることもなかっただろう。
「本当ならこの現況を作った君の父親を連れていくところだが、君の父親はとうにこの場にいない。だから、代わりに君を連れていくことになった」
先程から一言も発していない少年に構わず男は平然告げる。連れていく|ーーーどこへ連れていくのだろうか。 煉獄か、 それとも地獄か。
「言っておくが、 君に拒否権は無い。問答無用で来てもらう」
少年は目の前の男の顔を見るために一度も上げることのなかった顔を上げた。 羽織っている黒いインバネスコートとシルクハットが暗闇に溶け込み、青白い顔が暗闇に一点だけぼうっと浮かび上がっている。
「自己紹介をしていなかったな。私の名はローガン。アッカーソン家で使用人をしている。」
ローガン、と名乗った男はヘーゼルカラーの双眸で少年を射抜くように見つめた。 国民で長身痩察、二十代ほどの男だ。散えて他の人間に見られない珍しい特徴といえば耳が尖っていて悪魔のように見えるくらいだろうか。
「屋敷では君を客人としても使用人としても、勿論主人としても扱わない。自分のことは自分でしなければいけないし、君を温かく迎え入れてくれる人間なんて居ないかもしれない」
少年はローガンの双眸をただひたすらに見つめた。どれだけ見つめようがローガ ンは視線を逸らすこともなく顔色を変えることもない。未だに何を考えているかは分からなかった。
「 君には旦那様の"魂、 を取り返す仕事に就いてもらうよ。 この仕事を勤め上げる自信があると言うならば、歓迎しよう サミュエル」
少年ーーーサミュエルは差し伸べられた手を何も言わずに握り返した。それは悪魔 に魂を売ったかのような生きた心地のしない契約だった。