さよならまぼろし

一次創作サイト

千日紅が咲く季節には 8

 祖父のいる和室に向かう。

香織も母も叔母も出払ったし部屋なら他の人間に聞かれたり邪魔される心配もない。今片手には例のアルバムがある。これはこれからする話と、自分が知りたいことの鍵となる証拠だ。一旦深呼吸をして、襖の外から声をかける。

返事があったので開けると六畳ほどの和室に年季の入った文机で読書をしている祖父と目が合った。暗い色の塗り壁と干し草のような畳の匂い、祖父の背後の雪見障子から差してくる光がこれからする話に若干手に汗握っていた感覚を落ち着かせる。密談と言うほど聞かれてまずい話ではないのだが、理由が理由だけに穿鑿は余りされたくない。祖父が手招いて「とりあえず座ったらどうだ?」と言って座布団を置く。それに従って座布団に座ると向かい側に座っている祖父と距離が近く、柔らかい雰囲気なのになんだか緊張してしまう。

祖父はいつもと手にしていた書物を文机に置いていつもと変わらぬ様子で「啓太、どうかしたのか?」と尋ねてきた。

「じいちゃん、少し訊きたいことがあるんだけどいいか?」

「ああ、いいぞ。」

「啓太が訊きたいことって珍しいなぁ」などと朗らかに笑う。おおよそこれからこちらがする質問を想定していないようだった。

「今朝香織がじいちゃんの若い頃の写真欲しいってアルバム見てただろ?そのアルバムから三十年くらい前のじいちゃんと女性が写ってる写真があったんだけど、この女性の顔、昨日見たじいちゃんの海軍時代の写真で隣に立ってた志木っていう男と似てるから気になっているんだ。」

アルバムを文机の上に広げて例の二つの写真を取り出す。そして女性と敏郎の顔を並べて見せると、祖父は先程までの朗らかな笑みを絶やして眉を顰めた。

「俺、この女性の背景見たことがあるんだ。えーと…どこで見たかはちょっと言えないんだけど、この背景ってこの近所にあった家のだよな?この時のじいちゃんは今から三十年前で六十代だから定年してこっちに引っ越してきたのもこれくらいの時期だったよな。一緒に写っているってことはこの女性とじいちゃんは知り合いだってことだ。」

祖父は何も言わなかった。一旦話し終わると沈黙が部屋に訪れて居た堪れない気持ちになる。しかしそれを堪えて話を続ける。ここからが話の核心だ。これに関してはほぼ確信していると言っていい。

「この女性は顔立ちからして志木敏郎の血縁者じゃないかと俺は考える。じいちゃんが志木敏郎の血縁者に会いに行ったってことは志木敏郎の話もしたんじゃないか?そして、じいちゃんは昨日志木敏郎の生死については知らないって言ってたけど、本当は知っているんじゃないのか?」

全て話し終えると再び沈黙が訪れる。暫くの沈黙の後、何か考えるような素振りをしていた祖父がゆっくりとこちらに目線を合わせ重苦しく口を開く。

「そのことについて知ってどうするんだ」

「…この女性が志木敏郎とどういう関係で、それでもし今も健在なら直接会って志木敏郎がどうなったのか話を聞きたい。」

「なぜ、お前が志木のことを知りたがるんだ?」

「そ、それはその…気になったというか何というか…」

ただ単に写真で見ただけの過去の人間のことを知りたがるなんて理由としては十分ではないだろう。しかし正直に「過去にタイムスリップして本人に会った」なんて言えない以上誤魔化すしかなかった。そして、もう一つ証拠がある。これに関してはほぼ憶測みたいなものだが。アルバムの最後の頁を開いて間に挟まっている萎れた花を手に取って見せる。

「これ、"押し花"だと思うんだ。萎れてるし変色してるしほとんど原型がないけど。じいちゃんが作ったものかな?じいちゃんが押し花なんて作るとは思えないけど、この時代はまだ母さん始めてないしわざわざこの頁にこの写真と一緒に挟むなんて他の人は考えられないからさ。」

花びらの向こうの祖父と視線が交わる。あくまで予測だが、この花もしかしたら千日紅じゃないだろうか。花びらの形、そしてあの丘で敏郎と見たことがあってかそう感じる。

その双眸には「猜疑心」や「嫌悪」は感じられず「困惑」の二文字が浮かび上がっている。志木の生死のことを言わなかった通りこのことに関してはあまり話したくはないのだろう。しかしこちらはその真相が知りたいのだ。食い下がるわけにはいかない。

「…啓太、どうしても知りたいか?」

祖父の重い声色に気圧されることなく「うん」と答える。祖父はそれを見据えてゆっくりと言葉を続けた。

「…この女性はな、井手勇子さんという。旧姓は志木。つまり志木の娘さんだよ。」

敏郎の娘、ということは志木は結婚していたということなのだろう。結婚したのが出征する前か終わった後かは分からないが結婚をして娘を儲けていたということだ。何となくそういった予想はあったがいざそう告げられると驚いてしまう。そして何より敏郎が本当に実在していたということを今ここで実感しているという、えもいわれぬ気持ちだ。

「この写真はお前が言った通り三十年ほど前の写真だ。定年退職して今後の余生をどこか違う土地で過ごそうかと考えていた時、戦争が終わってから付き合いの続いていた志木の奥さんだった冨美子さんの薦めもあってな。この街が気に入ったし住もうかとうことになった。それでここに来てからまもなく冨美子さんが倒れてなぁ。遠方にある施設に預けることになったから勇子さんも近くに引っ越していったんだが、引っ越す前に一緒に撮った写真がそれだよ。」

思いで話を懐かしむように話す祖父の様子からは先程までのような張り詰めた空気はない。「冨美子さんはその時もう施設に入ってしまったから残念なことに三人では撮れなかったんだけどなぁ」とどことなく楽しそうだ。

しかし、言い終えると少し真摯な表情で居住まいを正した。

「啓太は勇子さん本人から志木のことを訊きたいのだろう?それなら私が今日話せるのはここまでだ。」

祖父はおもむろに立ち上がって横の箪笥の抽斗を開け中を探った。しばらく探していると「あったあった」と言いながら目当ての物を取り出した。

それはB5サイズほどの紙だった。若干皺がよっているものの字ははっきりと読める。その紙には一番上に"井手勇子"、その下に住所と電話番号が書かれていた。

「勇子さんは今もご健在だ。お前が直接連絡をしてみるといい。私の孫だと言えばきっと会ってくれるだろう。」

その後、井出勇子さんと連絡をとってみると来週予定が空いているので会ってくれるということになった。ようやく真相を知れると思って安堵していたその日の夜、夢を見た。

*

気が付くと、あたりが白くなっていた。

靄のようなもので視界が遮られ周りがどうなっているのかが全く分からない。その場に立っているものの不思議とそこから動こうという意思は湧いてこなかった。動かしたくても動かせないのではなく、動かすという意思すら無いのだ。この不思議な感覚にもしかしたらこれは夢ではないかと考えた。夢を夢だと認識できるのは明晰夢の類だが認識しても覚めないのはどういうことだろうか。そう考えていると次の瞬間、目の前の靄が取り払われた。突然のことに戸惑うと靄の晴れたところに人影があることに気づく。その姿を認めてこれでもかというほどに目を見開かせた。

敏郎だ。志木敏郎がそこに居るのだ。

「えっ………敏郎?」

「ハハハ。久しぶりだな、啓太。」

目の前の敏郎はこの前見た時よりもいくぶんか大人びていた。以前も少々あどけなさは残るものの取り澄ました顔立ちだったのに今ではすっかり精悍で大人の男の顔つきだ。開襟シャツにカーキ色のズボンというなんてことない格好でもなかなか様になっている。もしかして、前に会った時よりも時間が経過しているのだろうか。

「本物の敏郎なんだよな…?」

「当たり前だろ。お前こそ、本物の啓太なんだよな?」

そう言いながらもどことなく嬉しそうだ。ついこの前会ったばかりなのに数年ぶりに再会したかのような、とても懐かしい気持ちがこみ上げてくる。

「俺、ずっと啓太に会いたかったんだ。お前いつのまにか居なくなってるし何かよく分からない最後だったしな…。」

「ずっとって…?」

「もう四年も経ったんだぞ。」

四年という数字に思わず固まる。こっちでの時間経過はほんの数日だったのにどうやら敏郎のほうではすでに4年の月日が流れていたらしい。

「結局行くって約束した珈琲店にも行けなかったしなぁ。」

「あ…」

一緒に珈琲店に行くという約束を思い出す。あの約束の後に丘で意識がなくなったため結局果たされなかった。そして突然元の時代に戻されてしまったせいで別れも何も言えなかった。敏郎としても不完全燃焼な最後だっただけに心残りがあったようだ。

「ごめん、俺…何も言えなくて。」

「気にするなよ。あのことは全部夢だったんじゃないかとも思ったんが、やけに鮮明だし家族の皆も啓太のこと覚えてるからそれは無いなって考えたんだよ。」

「皆が…?」

「ああ。母さんも喜代も法恵も皆啓太のこと覚えてるぞ。」

「そう、なのか…皆元気にしてる?」

「ああ。母さんと喜代は相変わらずだし、法恵は今年女学校に入ったぞ。すっかり大きくなったけど法恵は啓太がいなくなって愚図ってたのを覚えてる。」

昔を懐かしむように柔らかく微笑む敏郎の顔にはかつての面影に加えて歳を重ねたことによる違った色を醸し出していた。まさか敏郎だけじゃなく、他の志木家の人々まで自分を覚えているとは思わなかったので驚いている。そのうえ、居なくなったことを悲しんでくれるとはなかなかに嬉しい。それにしても元気なようで良かった。

「…あんまり長話は出来ないようだな、」

突然そう言って敏郎から笑みが消える。それと同時に先程までの朗らかな雰囲気も風船から空気が抜けて萎んでいくみたいに収まっていく。なぜ長話できないとそう感じたのだろうか。しかしこの疑問を口にすることもなく押し黙る。なんとなくその言葉が分かる気がするのだ。

「俺な、行くことになった。」

「……行くって?」

「戦争。」

敏郎の表情と声色から何なのかは予想していたが、その言葉を聞いて思わず思考が止まる。覚悟はしていたし前から知っていた。しかし、それでもいざ本人の口からその事実をつきつけられると全身が冷え切っていくような感覚に陥るのだ。

「この前赤紙が来た。いずれは俺にも来るだろうとは思っていたが意外と早く来たよ。」

「…怖くないのか?」

「怖い、か。怖いなんて言ってられないだろ。戦争なんだから怖くないと言ったら嘘だ。だけどそんなこと言っても逃げることは出来ないし逃げるつもりもないぞ。」

敏郎の言葉一つ一つに重みを感じる。本心からそう思っているのだろうか。しかし言葉のわりに表情は晴れやかで思いつめた様子はない。気持ちをすでに整理していて吹っ切れたのかもしれない。それでも戦争に行くなんて普通の人間なら並大抵の覚悟で吹っ切れるものではないだろう。敏郎は赤紙が来るまで、来てからどう思っていたのだろうか。

「啓太がそんな自分のことみたいな顔する必要ないだろ。」

「だって…」

「大丈夫だよ。それに俺、結婚したしな。」

「えっ………?あ、そうか…」

一瞬驚くがそういえばそうだったと思いなおす。冨美子と結婚して娘の勇子を儲けているのだからそうだ。丁度結婚したのもこのころだったのか。感覚が彼が十八歳だった時で止まっているため違和感が拭いきれないのだ。

「前から知ってたみたいな反応だな?結婚したのは三ヶ月ほど前なんだか…」

「あ、あー…えっと」

敏郎は不思議そうな顔をする。未来から来た人間だということを敏郎はやはり今も信じていないだろうか。普通は信じないだろうが、あんなことがあった手前絶対に信じないとも言えないだろう。どう答えていいか困惑してしまう。

「まぁ、でも未来人だし知っててもおかしくないか。」

「…え?」

「未来から来たって言ってたのはお前だろ?」

「それはそうだけど…信じるのか?」

「最初こそは全く信じていなかったが…突然目の前で消えたんだから信じてもおかしくはないだろ。違うのか?」

「ち、違わない!」

信じてもらえるとは思っていなかったので嬉しい。敏郎は頑固そうだから一度言ったことはなかなか訂正しなさそうなところがあると思っていた。

「奥さん、冨美子って言うんだ。見合いで初めて会ったんだけど優しいし気が利くし良い女性だ。母さんとも良くやっているよ。」

「そうか、それなら良かった。」

「多分子供も出来るだろうし、冨美子や母さんたちの為にもますます頑張らないとなって思うんだよ。」

再び朗らかになりそうだった空気がまた張り詰める。"頑張る"というのは恐らくこれから出征することのことだ。敏郎はあくまでも出征することに対する前向きな姿勢を貫こうとしている。きっと弱音など絶対に吐くつもりはないのだろう。自分の前でも。そういう意思を感じる。

「…本当にそう思ってる?本当は行きたくないとか思ってるんじゃないのかよ…」

「そんなことないぞ。」

「何で断言できるんだよ!怖いだろ、だって戦争なんだぞ。もしかしたら死ぬかもしれない、死んだら帰ってこれないし会いたい人にも会えなくなるんだぞ!」

「…………………」

「奥さんや子供が居るからこそ、行くべきなんかじゃないだろ…」

「でも、さっき言った通り俺の意思なんて関係ないんだよな。」

「じゃあせめて生きて帰ってくるって言ってほしい…」

こんなこと言うべきじゃないのに、言うつもりなんてなかったのに。敏郎が戦争に行くことは避けられないし、戦争に行くことは決まってるし、こんなこと言っても困らせてしまうだけなのに止めることができない。これ以上敏郎の顔を見ていられなかった。目尻に涙が溜まる。このままでは敏郎の前で泣いてしまいそうだ。

「俺、別に生きて帰ろうだなんて思ってないぞ。」

「え…」

「俺は御国のためなら命も捨てる覚悟だ。」

「…そんなこと本当に思ってるのかよ。」

いつか見た戦争のドキュメンタリーや映画で聞いたことのあるフレーズだった。"御国のために死ぬ"だなんて、敏郎が言うとは思っていなかった。この時代だから致し方無いとはいえ、敏郎の口からは聞きたくない言葉だった。そんなの最初から死ぬつもりじゃないか。

「啓太、そんな顔しないでくれ。」

「……………」

「啓太は俺に死んでほしくないって思ってるのか?だとしたら嬉しいぞ。」

敏郎は優しく微笑みながら言う。その姿はとても儚く、一瞬でも目を離したら消えてしまいそうなほどだった。泣くつもりはないのに涙が溢れてくる。死に行く人間を目の前にするのがこんなに悲しいことだとは思っていなかった。覚悟していたはずなのに目の前にいると感情が上手くコントロールできなくなるのだ。

「泣くなよ啓太。子供みたいだな。」

「死んでほしくない…生きて帰ってきてほしい…」

そう言うと体が温かい感触に包まれた。敏郎に抱擁されたのだ。突然のことに驚いて固まる。しかし体を包んでいる両腕は優しく心地が良い。長らく抱擁されることは無かったが何だか懐かしい気分でとても落ち着く。昔母に抱き締めてもらったあの感覚に似ているのだ。

こんなに子供のように愚図っている自分に自分でも心底驚いているのだ。敏郎と過ごした日数はたった数週間ほどであまりに短いものだったかもしれない。しかし短い間に二人で色んなことをして色んなことを話してともに過ごしただけで自分は思っていたよりもずっと敏郎に情が湧いてしまったのだと痛感する。過ごした時間なんて関係ない。この青年を死んでほしくない、戦争に行ってほしくないと泣いて愚図るほどには大切に思っているのだ。

「啓太、俺は生きて帰りたいなんて言わない。それだけは変わらない。」

「…………………」

「でも、叶うなら未来でも俺のこと思い出してくれないか。」

「………敏郎」

「なんて言うのは我儘か?俺のこと忘れて欲しくないって思ってるんだが…」

「…敏郎、敏郎、」

「…なんだよ?」

敏郎はやはり意思は変わらないようだった。自分がいくら何を言おうと、己の意思を貫くつもりだ。

たまらなくなって、変わらず優しく抱擁されていた腕を強く抱いて敏郎の背中に腕を回した。苦しいほど抱き締めれば「おい、苦しいぞ」と笑いながら言われる。それにもお構いなしに力の限り抱き締める。この感覚を忘れないように、今まで過ごした日々を絶対に忘れないようにするのだ。彼がここに、確かにこの世に存在して確かにともに過ごしたことを忘れないようにするために。

敏郎は背中をぽんぽんと叩く。そこで決壊したように涙が溢れ出ていく。それからは声を上げて泣いた。思い切り、羞恥なんて捨てて年甲斐もなく泣いた。敏郎は驚いていたがすぐに小さい子供をあやすように頭を撫でていた。ようやく落ち着いてきたころ、敏郎は抱擁を解いた。十分したとはいえ何だか名残惜しい。

「啓太、この前あの丘で千日紅の押し花の話したよな。」

「…うん」

「俺その時は花なんて女みたいだとか言ったけど、折角お前が教えてくれたんだ。今度やってみようかと思う。」

「そうか…」

「だから、啓太も千日紅の押し花作ってくれ。それで、千日紅が咲く季節に俺のこと思い出してくれ。」

「千日紅が咲く季節じゃなくても思い出すよ…いつでも、思い出す。」

「そうか……ありがとな。」

敏郎の消えそうな微笑みを見て再び泣きそうになる。もう泣いては駄目だ。さっきあれほど泣いたのだからもう泣かない。せめて最後は笑って見送りたい。彼の最後の姿をこの目に焼き付けたいのだ。

そこで視界が霞んでいっていることに気づいた。慌てて目をこするが目に異変が起きているのではなく辺りが変化しているのだ。敏郎の姿が白んでいく。駄目だ。もう時間が無い。しかしこのまま別れるわけにはいかない。

「啓太!お前のこと忘れない。死んでも、絶対に忘れない。」

「俺も…敏郎のこと忘れない!未来でもお前のこと思い出すよ!」

視界がどんどん霞んでいく中で咄嗟に手を伸ばした。指先に敏郎の手が触れる。温かい手だ。ちゃんと血が通っていて生きている。彼がちゃんとここに居たということを忘れないためにこの感触を忘れるわけにはいかない。そう思いながら真っ白に溶けていく靄の中でうっすらと最後に見えたのは彼の柔らかな笑みだった。

目が覚めるとベッドの上に居た。辺りを見回す。寝る前と同じ場所だ。起き上がって手を見つめた。さっきのは夢だったのだろうか。しかし今でもあの手に触れた感触が残っている。そして彼と過ごした日々の記憶はしっかりと残っている。大丈夫だ。忘れていない。これからももう忘れることはない。彼はこの記憶と共に生き続けているのだ。

 

千日紅が咲く季節には 7

目を開けると空が見えた。日はすっかり沈んで青い空が向こうから暗くなっていっている。体の節々に若干の痛みを感じながら起き上がる。草むらに寝転がっていたせいで至るところが蚊に刺されていた。上を見上げると落ちてきた丘が見えた。家の影はない。空き地だ。

鈍る頭を回転させて状況を整理する。あの丘から足を滑らせてこの草むらに転落した。そして暫く気を失っていた。落ちた時は確か日が暮れる前だったから一時間は気を失っていたということになる。このことは前にも考えた覚えがある。本当に気を失っていただけだろうか。何かがあったような気がする。何だっただろうか、あの丘は本当に空き地だっただろうか。家があった気がする。しかし家なんて無いし、なぜそんな気がしてしまうのかが分からない。

気を失っていたせいか頭の中に靄がかかっているかのようだ。考えようとしても上手く脳が働かない。取りあえず暗くなったし家に帰ることにする。立ち上がって体を見たが鈍い痛みを感じるものの特に怪我は無いようだった。ポケットに入れたスマホを取り出して電源を押す。液晶に"19:12"と表示されている。問題なく動く。どうやら壊れてはいないようだ。今頃はもう夕飯だろうな。母は怒っているだろうかなんて思いながら暗がりを小走りで後にした。

その後も頭の中に靄がかかっているかのような感覚は続いた。夕食中も、入浴中も、寝る前も何時間経ってもそれは変わらなかった。何かを忘れている気がする。何かがあった。あの丘から転落した後に何かがあったような気がする。しかし肝心のそれが何なのかがどうしても思い出せない。夢の内容を思い出すかのようだ。もしかして夢なのだろうか。分からない。夢なんて見てもすぐに忘れる。思い出すことなんて出来るはずがない。

しかし、そのまま忘れてはいけないような気がする。忘れることは簡単だが忘れてしまったら二度と思い出せなくなるだろうという危機感が襲う。正体のわからない感覚に悩まされながら一晩を迎えてしまう。

朝から気分が優れないまま朝食を終えて居間で休んでいると香織がどこからともなく出したアルバムを机の上で広げ始める。見覚えのある古びたアルバム、確か昨日の祖父のものだ。

「まだ見てんのかよ?」

香織にそう聞くと当の本人は楽しそうに答える。

「おじいちゃんがね、欲しいの持って帰っていいよって言ったから選んでるの~」

欲しいの持って帰るって、祖父の写真なのだから本人が持っておくべきだと思うが違うのだろうか。

「じいちゃんの写真持って帰ってどうすんだよ。じいちゃんのものなんだからじいちゃんが持っておくべきだろ。」

「だっておじいちゃんが良いよって言ったし」

香織はつまらなさそうに口を尖らせて言う。すると台所から「香織はおじいちゃんの若い頃の姿が気に入ったのよねー」という母の声が聞こえてきた。叔母も同じように「若い頃のお父さんかっこいいもんね。」と笑って言う。二人はどうやら妹擁護派のようだ。

「あれ、何これ?」

香織がアルバムをめくって首をかしげた。どうやら最後の頁に何かが挟まっているようだった。香織がそれを手に取って見せる。

色は薄い茶色で何かの植物が萎れて変色したもののようだ。何かの花だろうか。濃い色の花のように見える。花びらと思しき部分は形もかなり崩れてしまっているがどことなく見たことのあるものだった。

何かが脳裏に過る。何だっただろうか。この花も知っているはずだ。そしてもう一つ何かを思い出そうとしている。もう少しで分かりそうなのに分からない。もどかしい。何なんだろうか、この感覚は。

「ね、このおじいちゃんの隣にいる女の人誰だろう?」

香織がアルバムに一枚だけ挟まれている写真を指差す。古い写真だがそこには今より三十歳ほど若い祖父と隣に女性が立っている。その女性は四十代ほどで女性自体には一切面識がないはずなのに顔立ちはどこか見覚えがあった。その女性を見ただけでまたしても奇妙な感覚が襲う。そして祖父と女性の背景を見た途端鼓動が速くなるのを感じた。

背後にはどこかの家の玄関のようだった。少し古びてはいるものの広くて高級そうな内装だ。これにも見覚えある。この家の玄関ではない。しかし間違いなく"この玄関に足を踏み入れたことがあるはず"だ。

そこであることに気づく。咄嗟に香織がちょうど開いているアルバムを取ってページをめくる。ほぼ奪取するような形だったため香織が驚いて抗議する声が聞こえるがそれを無視して先頭の方の頁をひらく。

そこには昨日見た若い頃の祖父が海軍にに入隊した時の集合写真だ。祖父の隣に立つ青年。祖父よりも頭一つぶん背が高く祖父のようなはっきりとした顔立ちではないものの、どこか惹きつけられる。

その青年、志木敏郎だ———―

ようやく全部を思い出した。そうだ、忘れていたのはこれだ。あの丘から転落したあと81年前の昭和14年8月へと行ったのだ。そしてそこでまだ18歳だった志木敏郎と出会って数週間共に過ごした。犬に助けられたこと、不審者扱いされたこと、怪我を手当てしてもらったこと、志木家の人たちに良くしてもらったこと、法恵との散歩の一件で和解したこと、敏郎と日本橋の百貨店に出かけたこと、敏郎と行きつけのコーヒー店に行く約束をしたこと、敏郎とあの丘で千日紅の押し花の作り方を教えたこと——

確かにあの時代に行ったことは予想外だったし非日常のはずだった。しかしこれから戦争に向かっていく中の生活とは言え、あそこにあるのは確かに"日常"で片時の"平和"だった。時代が違えど敏郎は自分と同い年の十八歳で普通のどこにでもいる少年だったのだ。ただ数年後に戦争に行かなければいけなくなるというだけで、普通の少年だったのだ。

なぜ忘れてしまったのだろうか。忘れてはいけないことだったのに。ほんの数日でも、数週間でも敏郎と共に過ごしたことは事実なのに。まさかあれは全て夢だったのだろうか?夢だから忘れようとしていたのだろうか。昭和にタイムスリップするなんて現実的じゃない。あれは夢じゃないというのならきっと他に説明がつかない。だけど、あの日々を"夢"の一言で片づけてしまうのはあまりに悲しいことじゃないかと感じる。本当にあれは夢だったのだろうか。確かめる術がないだろうか。

「にいちゃん!」

横からの突然の香織の声に驚いてびくっと反応する。香織を見ると眉をひそめて睨んできた。

「勝手にとらないでよー。どうしたのいきなり?」

「あ、あぁ…いや、ちょっとな。」

誤魔化すように返答をしてその頁から祖父と敏郎が写っている写真を抜き取った。再び最後の頁を開いて先程の30年前の祖父と女性が写った写真を出す。女性の顔の横に敏郎の顔が来るようにして双方の顔を見比べる。やはり、似ている。この女性の顔立ちといい、二人の背景の場所といい、関係が分かったような気がする。

そうと決まれば、あとは本人で確認するだけだ。

 

千日紅が咲く季節には 6

 五階の書店に着くと早速目当てのものを探す。

時事や政治、世界情勢に関する本が並べられているコーナーで何かこの時代のことについて詳しく知れるものは無いかと目を凝らす。背に書かれているタイトルから良さそうなものを手に取って内容を確認していく。

何冊か目を通したものの有益な情報は得られそうになかった。この時代は政府による検閲があるせいで帝国主義の確固たる世論を揺るがすような批判や真実を肉薄するような情報を世に出すことは許されていないのだろう。ラジオのニュースや新聞だってきっと世の中の出来事をありのままに全て報道しているわけもない。真実を全て知っているわけでも知れるわけもない。しかし、これからこの国はどんどん泥沼に嵌っていくということだけは分かっている。二年後には太平洋戦争が開戦する。召集や本土での空襲だってある。もしこのまま帰れず数年先もこの時代に残るとしたら?それを考えるだけで目の前が真っ暗になった。

ふらふらと覚束ない足取りで書店内を回る。今旬の作家による新作が並べられていたり、漫画や雑誌もあった。その中にふと科学雑誌を見つけた。今日入荷されたばかりの今月号でロケットが表紙に書かれている。宇宙だったり未来だったり子供向けのSF関連を取り扱う雑誌のようだ。興味を惹かれてぱらぱらとめくって流し見する。するとあるところで手が止まる。

"タイムトラベル"と大きく字が印刷されている。タイムマシンや未来へのタイムトラベルについて書かれている内容だ。五十年後、百年後の世界はどうなっているかとかそういうよくあるレトロフューチャーだ。未来から来た人間に言わせてもらうと、的を得た予想とは言いにくいが発送としては面白いものが多い。

ライターによるタイムトラベルへの考察や批評、コラムが書かれていて作り手側の熱意が伝わってくる。タイムトラベルやタイムマシンなんて子供の頃に考えていた程度だ。そんなものはあくまでも空想の中での話で例え実現するとしてもずっと未来のことだと思っていた。しかし、現に自分は時間を超えて生まれた時代よりずっと前のこの時代にやって来ている。そう思うと一見滑稽に見えるこのタイムトラベルも単なる絵空事じゃないんだろうと感じる。

「なに読んでんだ?」

背後から声がして思わず「うぉうっ」と素っ頓狂な声を上げてしまった。咄嗟に口を塞いで辺りを見回す。数人こちらを見ていたので恥ずかしくなって俯く。声をかけた人物は当然ながら敏郎だ。

「そんなに驚かなくたって良いじゃねえかよ。」

「いきなり声かけられたら驚くに決まってるだろ。」

「へいへい、悪かったな。それ、科学雑誌か。興味あんのか?」

敏郎が手元の雑誌を覗き込む。ページは"タイムトラベル"のところのままだ。少しきまりが悪そうにゆっくりと首肯すると、それを見て敏郎はにやにやと笑い始めた。

「何だよ。」

「いや、タイムトラベルねぇ…って思ったんだよ。お前、そういえば初めて会った時俺に未来から来ただとか言ってたよな。」

「あ、ああ…」

「お前、本当に未来人だったりして。」

敏郎の言葉に目を見開く。なんてことない言葉のはずなのに衝撃だった。頭を殴られたような衝撃ではなく、胸を抉られたかのような気持ちだ。うまく言葉で説明できない。なぜこんな気持ちになったかも分からなかった。ただ、茫然と立ち尽くしてその言葉を反芻するだけだった。

書店を出た後は、紳士服だったり文具だったりスポーツ用品だったりと敏郎が行きたいと言ったところについて回った。それぞれのフロアで分けられているテナントは元いた時代と特に変わりはない。あちこち歩いて回ったのでけっこう疲れてしまった。そのことを敏郎に告げると上階にある喫茶店で休憩しようと言われた。7階には大食堂もあるという。この時代のレストランや喫茶店には興味があるので少し心を躍らせながらやって来るとカフェの内装に若干拍子抜けしてしまった。白い壁に赤い絨毯。座席は余り見ない感じだが店内自体は普通に元いた時代でも"昭和レトロの喫茶店"を銘打った店でありそうな雰囲気だ。まあそんな大して変わるはずもないか、と思いながら二人掛けの席に着く。

メニュー表には意外と色んな品目があった。ケーキだったりアイスだったりサンドイッチだったり様々だ。ところどころ見慣れない名前は見られるものの、大体どんなものかは想像がつく。値段を見ると"銭"と書いてある。この時代の銭とかの相場が分からないのでそこが困りどころだ。

「メニュー減ったよなぁ。」

向かい側に座っている敏郎がぼやくように言う。

「えっ減ったの?これで?」

「ああ。二年くらい前まではもっと色んなのがあったんだがこのご時世のせいで、な。」

どうやら二年前から続いている日中戦争の影響で珈琲の輸入が制限されているらしく、それと同時にメニューの数も少し減らされたらしい。百貨店自体も規模が縮小しており営業時間の短縮をしているらしい。

珈琲はメニューにはある。制限のせいで珈琲の値段が上がったという。しかし元の珈琲の値段を知らないので高くなったか判断することはできなかった。

結局自分はミルク、敏郎はソーダ水を注文することになった。注文を済ませた後、敏郎はしばらく珈琲が高くなったことに関して嘆いていた。

「コーヒー好きなのか?」

「ああ、好きだな。この近くに馴染みの珈琲店があってそこによく珈琲豆買いに行ってるんだよ。」

「へぇ…馴染みのコーヒー店か…」

「啓太は珈琲好きか?」

「あー…まあ好きかな。」

敏郎の言葉に若干言葉を濁しながらも答える。コーヒーを好んで飲んでいるというわけではない。受験勉強で夜遅くまでかかる時に眠気覚ましとして時折飲んでいる。齢十八で恥ずかしながらコーヒーの味にまだ慣れていないのだ。

「俺が珈琲好きなのは親父の影響なんだよ。馴染みの珈琲店の店主も親父の昔からの顔見知りでな。」

親父、という言葉を聞いて咄嗟にあの顔が浮かんだ。敏郎の父は逓信局に勤めていて毎日朝早くから車で出かけていくのをよく目にしている。顔立ちは敏郎とよく似ている。敏郎のあれくらいの歳になればああいう見た目になるんだろうというのが容易に想像できる。長身で体格が良く、どことなく威圧感のある外見だ。しかし性格は厳つい外見とは反して寡黙だが、穏やかだ。赤の他人である自分に対しても至って普通に接してくれた。未だに若干恐れ多さはあるものの敏郎の父を含め志木家の人々は良い人ばかりだと思う。

嬉しそうに話している姿を見て、きっと敏郎も父親のことが好きなんだろうと感じる。

「啓太も今度連れて行ってやるよ。」

敏郎はにかっと笑って言う。余り好きではないのに少し申し訳なさを感じながら、こちらも何だか嬉しくなってしまう。どこかに一緒に行くという約束からこれからもあの家に居ていいのかという問いかけと友人だと認められているという満足感が混ざって何ともむず痒い感覚だ。

その後、注文したものが来るまで敏郎の趣味のことや学校での話、子供の頃の思い出話など沢山の雑談に花を咲かせた。

百貨店を出て、帰路につく頃にはすでに夕日が見えていた。行きと同じく電車とバスを乗り継いで帰る。バス停に着く頃には若干暗くなっていて空の向こうは未だ赤く、反対の方向の空にはうっすらと月が見えていた。

「すっかり暗くなったな。」

肩を並べて歩いていると敏郎は独り言のようにつぶやいた。志木家に向かって歩いていると次第にいつもの田園が見えてくる。

このあたり景色も数十年後にはどんな風になっているんだろうと考える。あと二年ほどで太平洋戦争が開戦して米軍が本土爆撃に来れば恐らくこの地域も被害に遭うだろう。そうしたらこの景色も変わり果ててしまうだろうしここに住んでいる人々の命の危機に晒されるだろう。もちろんその中には志木家の人々も含まれている。敏郎の両親や家政婦の喜代に妹の法恵たちは辺地に疎開することとなるだろう。しかし、敏郎は?敏郎はいずれ召集される。あの若き日の祖父と共に写っていた写真が敏郎が海軍に入隊したことを示している。敏郎はどうなるのだろうか。祖父は敏郎の生死について知らないようだった。終戦までに生きているのか、死んでいるのか。それが分からないだけで言いようのない不安が押し寄せる。

「…あのさ。」

「何だよ?」

堪らなくなってついに敏郎に問いかける。

「敏郎は、もし自分が戦争に行かないといけなくなったらどうする?」

その言葉は今口に出すのは余りにも重すぎて言い終わった直ぐ後からかき消してしまいたくなった。

「何だよいきなり…」

「気になったんだ。今でも軍は他の国と戦争をしているけど、これからますます激化したり長期化したら召集されることになるかもしれない。そうなったらどうするんだよ。」

最初は笑っていた敏郎も言葉を続けるうちにどんどん笑顔が消えていった。さっきまでの和やかな空気も消え重苦しい空気だ。しかしその空気とは違って敏郎の返事は完結だった。

「行くしかないだろ。」

ただ一言、そう告げる。その声色からはどの感情もうまく読み取れない。

「国が戦争に行けって言うなら俺はそれに従うまでだ。逃げることなんて出来ないし俺は逃げるつもりもない。」

返す言葉が見つからない。ただ言葉を繰り出していく。

「それも運命なんだろう。」

「なあ、ちょっとあの丘に寄っていかないか?」

突如先程までの話題を断ち切って敏郎が思いついたように言った。いつのまにか笑顔に戻っていて何もなかったように振る舞う。自分も何とか陰鬱な気持ちを振り払う。あの丘、とはきっと二人で初めて出会ったあの場所だ。なぜ突然そんなことを言い始めたのかと疑問に思うが、あの日以来近寄っていなかったので興味が湧いてきた。たぶんあれから変わっていることなんて無いと思うが好奇心の赴くままに承諾することにした。

「そうだな。行ってみよう。」と返事をしてあの丘に向かう。田畑横の道を抜けて坂道を上っていく。急ぐ気持ちで息を若干切らしながら、坂を上りきる。予想通り、丘の風景は特に変わっていなかった。しかし、あることに気づいた。下に続く階段横に植木鉢が置いてあるのだ。そこには赤い花が咲いていた。元いた時代では空き地だった、もとい自分が転落した場所でもあるあの家の住人が植えたものだと思った。

その花が気になって思わずそちらに向かった。屈んで花をよく見ると、見覚えのある花だった。"千日紅"だ。植物図鑑だけではなく、この花は母がよく作品作りに使っていたので知っている。まさかこんなところで目にするとは思いもしなかった。

「それ花か。なんか気になるのか?」

「あ、ああ…うん、まあね。」

遅れてやって来た敏郎が千日紅を見ながら言う。なぜ花に興味を示すのかと思っているのだろう。自分でもよく分からなかった。千日紅に馴染みはあるがそんなに好きというわけでもない。しかし何だかこの花が気になるのだ。

「お前、花なんか興味あるのか?」

敏郎が怪訝そうに尋ねてくる。この時代の男性にとって花が好きだというと女性のことだと思うだろう。そして男性が花が好きだというものなら「女々しい」などと蔑まれるのだろう。しかし、そうだと分かっていても快く思われないのは余りいい気分ではない。

「好きっていうか、母親の影響でちょっと詳しいだけだよ。」

「母親の影響…なぁ」

敏郎は同じように屈んで千日紅をまじまじと見つめる。

「これ、なんていう花?」

敏郎の思ってもいなかった言葉に驚く。花に興味を示すとは思っていなかったので予想外だ。

「千日紅っていう花だ。咲いてる時期が長いから千日紅って言うんだ。日持ちがいいから押し花とかにも使える。」

「押し花?」

「やったことないか?」

敏郎は「…ない。」と短く答える。何だか変な気分だ。どうせなら母親の手伝いで散々刷り込まれた知識を使って押し花の作り方でも教えてやろう。

「新聞紙の上に塵紙置いて花を並べる。その花の上から塵紙や新聞紙重ねていって分厚い本で重石をする。重石をした新聞紙を何回か取り換えて、完成。」

「…何だそれ面倒臭いな。ただ花を潰して乾燥させるんじゃないのかよ。」

「これでも十分簡単だろ。」

「どこかだよ。そもそも花って女が好きなもんだろ。男の俺には興味ねえよ。」

敏郎の言葉に言い返してやりたい気持ちを抑えて口を噤む。この時代の男にとってこの価値観は仕方ないことだ。余り良い気分ではないがここはぐっと堪える。

それにしても、なぜこの花が気になったのかと疑問に思う。こんなところに千日紅が植えてあるからだろうか。そもそも最初に丘に来たあの日はここに千日紅なんてあっただろうか?気づかなかっただけだろうか。考えると色々謎が浮かんできて頭が痛くなってきた。

そういえば、丘から転落した日も赤い花を見つけたからだった。あの花は、もしかして、

そこまで考えて突然頭にがつんと衝撃が走る。一瞬殴られたのかと思うほどの強い衝撃にその場に倒れ込んでしまう。倒れると世界が回転しているんじゃないかと思うほど視界が揺れる。頭には凄まじい痛み。視界の揺れと痛みはどんどん増していく。視界の端に赤い花と、敏郎の顔がぼんやり見えたのを最後に意識は闇に落ちた。

 

千日紅が咲く季節には 5

 この時代に来てから一週間以上経過した。

元いた時代に戻る方法は依然分からないままだが、怪我は一通り治った。左足も良くなりほとんど元通りだ。怪我が治って一安心、ではあるのだが帰ることもできないのでこれから自分はどうなるのだろうという不安はより一層増していく。

そもそも自分が志木家に置いてもらえているのも怪我があったからだ。その怪我が治ってしまえばここに居られる理由も無くなってしまう。ここを出たとしても行くあてがない。働き口を見つけようにもこの時代をよく知っているわけでもなく、人脈があるわけでもない。志木家のコネクションを期待するというのも都合が良すぎる。正直言うところ不安しかないのだ。出来るなら出ていきたくはない。しかしいつまでも居座れるほど神経が図太いわけでもない。毎日ああでもないこうでもないとは考えては堂々巡りだ。

いつもの通り居間から庭をぼーっと見つめながら思案していると、背後から声がした。

「よう、啓太。暇しているようだな。」

声の主は敏郎だった。敏郎とはあの一件以来、初対面の時に比べて驚くほど距離が縮まった。最初は無愛想で素っ気ない感じだった敏郎も一緒に過ごすと意外と明るく話しやすい奴だとういうことが分かった。そして少し心配性なところもある。

左足の怪我のこともあったが、この前志木家の庭でまたしても草毟りを手伝うこととなったのだがその際草で指を切った時の敏郎の狼狽ぶりは今思い出して笑ってしまいそうになる。なんてことない傷だったのだが敏郎は心配したらしくわざわざ手当てまでしてもらった。敏郎の様子から見てもしかしたら同い年ではなく弟のように思われているのではないかと考える。それかあの程度の怪我でも世話を焼きたくなるほど貧弱だと思われているのかもしれない。確かに敏郎より背が低いしやわに見えるかもしれないが、頼りないと思われているようじゃ余り良い気はしない。

しかしそれと同時に敏郎は自分と同い年なのだということを実感させることもしばしばある。素直じゃないところや照れ屋だったりするところは時代が違えど同じ十八歳の少年なんだと感じる。

敏郎は初めて出会った時とはうって変わった笑顔で言う。

「午後から空いてるか。」

「うん、空いてるけど。どうしたんだ?」

「一緒に出かけないか?」

敏郎の思いがけない言葉に驚く。敏郎と共に過ごす時間は増えたものの、今まで二人で出かけるということはしたことがなかった。出かける、ということは近所の散歩ではなくもっと遠方に行くということだろう。以前は左足の怪我があったので気遣っていたのかもしれないが、自分としてはあまり遠方へ出かける気はなかった。

変わり映えのない田園風景を歩くことが飽きなかったと言えば肯定しかねるが、この時代のことは未知が多い故むやみに行動範囲を広げたくなかった。この時代の都内中心がどのような様相なのか興味はある。しかし、この時世に余所者が歩き回るほどの胆力はない。

「出かけるって近所とかじゃなくて遠くまでってことだよな?」

「そうだ。行きたくないか?」

眉を下げて笑う敏郎にこちらも返答を言い淀んでしまう。さっきも言った通り興味がないわけではないのだ。歩き回る度胸がないというだけで。しかし敏郎となら大丈夫なんじゃないかとも思う。それに敏郎ともっと色んなところへ行ったりやったりしたいという気持ちは大いにある。敏郎の言葉に気圧された半分、興味半分で承諾することにした。「良いよ、行こう。」と言うと敏郎は「それじゃあ、決まりだな。」とにんまり笑った。

*

晴れやかな天気の下、志木家を出発した。敏郎にどこに行くのかと尋ねれば日本橋だと答えた。都市部の繁華街へ行くからかいつもより身仕舞いしている。敏郎が着ているシャツはきちんとアイロンがあてられ皺一つなくジャケットも型くずれなく手入れされているということがよくわかる。それに加えて上等な帽子と磨かれた革靴でいつもより男前だ。自分は流石に元いた時代の服装をするわけにもいかないので、敏郎の服を着させてもらっている。と言っても、敏郎とは身長体格違うので着なくなった服のお下がりを家政婦の喜代が繕ってくれたものだ。そのおかげで服はちょうど良いサイズだ。ここまでしてもらって申し訳ない。

閑散としている田畑横の道を抜けて街へ出てからバスに乗る。上野で降りてそこから都電の上野線と本通線を使って日本橋へ行く。電車を降りてからは志木家周辺とは余りに違いすぎる光景に少々気後れする。都市部なのだから賑わっているのは当たり前だし、元いた時代でも日本橋は来たことがあった。しかしこの時代の街並みとはかなり違うのでまるで全く違う場所に来たかのような気がするのだ。公道にはたくさんの車が走り和装洋装をした人々が行き交い、近代的なビルディングが立ち並んでいる。この街全体の一瞬一瞬の景色がフィルムに収められた映画のワンシーンのようでひとたび不思議な感覚に陥ってしまう。かつては液晶越しにしか見られなかったこの光景を直接まぶたに焼き付ける日が来ようとは誰が思おうか。

茫然と目の前の景色を眺めていると「行くぞ」と敏郎が歩いていくので慌てて付いていく。人混みを抜けてしばらく歩くと近代的な建物が見えてきた。百貨店だ。

入口にお洒落な洋服に身を包んだ若い女性たちが立っている。案内嬢だ。エントランスの外装も元いた時代のものとは若干違っていて見慣れない光景に思わずきょろきょろ見渡してしまう。

「おい、勝手にどっか行ったりするんじゃないぞ。迷子になっても知らないからな。」

「ま、迷子って子供じゃないんだぞ…」

あまりに挙動不審だったせいか見かねた敏郎が呆れたように笑って言う。子供っぽく思われてしまったかもしれないと思うと恥ずかしい。

百貨店の中に入ると内装はかなり豪華で1階の売り場には装身具だったり服飾品だったりと高そうなブランド品が多くある。週末の午後だからか人の数も多く色んな年齢層の客が見られる。若い女性にはモダンな服装に身を包んでいる人が多くいて思わずそちらに目が行く。

「啓太、どこか行きたい場所あるか?」

敏郎から不意に話しかけられて一瞬思考が止まる。慌てて情報を処理して考える。行きたい場所と訊かれて数秒の黙考の後、すぐに答えは出た。

「俺、書店行きたいんだけどいい?」

 

千日紅が咲く季節には 4

 昭和十四年にやってきてから数日が経った。あの日、志木家に来た自分は志木の母の厚意により怪我の手当てをしてもらい、自分が帰る場所が無いことが分かると「しばらくこの家に泊まっていけばいい」と言ってくれたおかげで何とか無事に生きられている状態だ。志木の母が機転を利かせてくれなければ今頃どうなっていたかも分からないし、手当てをしてくれた上にこの家に置いてくれるなんて本当に頭が上がらない思いだった。

いくら「客人」とは言え、何もしないのも申し訳ないので家政婦の仕事の手伝いや自分の身の回りのことは自分でやっている。

しかし自分は「客人」としてこの志木家に居座ることを許されているのだがその猶予もいつまでかは分からない。いつ元いた時代に帰れるのかもそもそも帰られるのかも分からないのに、怪我が治ればこの家を追い出されてしまうかもしれなかった。それにあまり長居をするのも気が引ける。この時代に居れば居るほど悩みの種は増えていく。

そしてもう一つ問題がある。志木から相変わらず警戒されていることだ。志木の母からや家政婦である喜代からは至って手厚い扱いであるものの、志木からはどことなく疎まれているように感じる。素性が分からずあろうことか「未来から来た」などと口走った不審人物に打ち解けるなど不可能なことが当たり前なのだが、それでも避けられたり信用されてないということを実感すると寂しくもなる。

捻挫した左足以外の傷はほとんど治癒し、左足も以前のように動かすことは難しいものの痛みはなくだいぶ良くなっている。ひとまず怪我が良好に向かっているので安堵する。このまま安静にしておけばあと数日ほどで治るだろう。今日は手伝いも終わり、暇になったので居間にある籐椅子で寛ぎながら読書をすることにした。本棚から書物を拝借したのだが思いの外面白い。今まで余り本を読んでこなかったせいか読書も意外と悪くないということに気づいたのだ。スマートフォンは相変わらず使えない。最初はスマートフォンが無いので大丈夫かと心配にもなったが案外無くても平気なものだ。寧ろインターネットが無いことで時間に余裕が出来たので読書を始め、色んなことが出来た。多少不便なことはあるがこの時代の生活も悪くないものである。

手に取った小説の頁をぱらぱらと捲っていると、廊下からどたどたと足音がした。

この足音の正体はすでに分かっている。

「啓太にいちゃん!遊ぼう!」

居間に入りまぶしいほどの笑顔で駆け寄ってくる少女にこちらもつられて笑う。この少女は志木の妹である法恵だ。尋常小学校に通う9歳の子なのだが、とても志木と血が繋がっているとは到底思えないほど兄とは真逆だ。志木は長身で不愛想で一つの物事に頓着する性格だが、法恵は小柄でまさに天真爛漫という言葉がぴったりな闊達な性格だ。どうやら法恵は昔から病気がちで両親から出来るだけ外に出ないように言われているようだが遊び盛りな歳の子供に「外に出るな」という言葉は酷なもので本人も言いつけを破ってちょくちょく外に遊びに行っているようだった。

「いいよ、何する?」

「外行こう!」

「じゃあ今日は近所を散歩しよう。」

「うん!」

法恵はずいぶんと自分に懐いているようだった。本来なら志木と同じく警戒してもおかしくないのに疎んじるどころか素性のよくわからない男に興味が湧いたらしくまるで兄のように慕ってくる。家にやって来た兄ぐらいの歳の男に惹かれるものがあったのかもしれない。ちなみにあの後知ったことなのだが、志木はどうやら自分と同い年らしく現在は旧制高校の1年生だという。志木は自分より幾許か大人びて見えていたのでまさか同い年とは思っておらず驚いたものだ。

法恵に手を引かれて外へ出る。法恵と遊ぶ時は花札だったりおはじきだったりお手玉だったりそういったものをしていた。外で遊ぶのは志木の母や家政婦の目もある手前、というのもあるがこちらとしても足の怪我があるため出来るだけ激しい運動は避けたい。散歩程度なら咎められることもない。本人もどちらかというと外で走り回る方が好きなようで両親のことを心配性だとか過保護だとか不満を漏らしていた。しかし法恵も気を遣ってくれているらしく自分と遊ぶ時はいつも家の中でのみだった。外に行く時は散歩の時くらいなのでその点ではありがたい。

「法恵ちゃん、最近俺と遊んでばっかりだけど良いの?学校の友達と遊びたいだろ。」

「いいんよ、私は啓太にいちゃんと遊びたいから。それに学校の子たちとはいつでも遊べるよ。」

この子は無邪気な子供らしさを持っているのにどこか大人びていて早熟している部分もあると感じる。9歳の子供とは到底思えなくて自分がこの子と同じ歳の頃こうだっただろうかと考える。きっとこの子は将来聡明に育つだろうと思う。

法恵と一緒に田園風景が広がる道を歩く。この町はちょっとした田園都市となっていてこの辺りは田畑が多く世帯も少ないが、この田園を抜けると向こうは市街があり賑わっている。法恵は歩きながら楽しそうに話す。今日の学校で何があったかとか授業で分からないところを当てられて焦っただとか学級で何が流行っているかとかそういう取り留めのない話をする。たまに自分のことを聞いてくるのでその時は流石に未来から来たとは言えないので何とか上手く誤魔化している。志木以外があのことを知らないなら恐らく志木は誰にも話していないのだろう。正直なところ、志木は自分のことをどうするつもりなのか気になる。

「なぁ、法恵ちゃん。」

「なに?」

「兄ちゃんが俺のことで何か言ってたこととかあった?」

法恵にそう聞けば考えるような仕草も見せず「ないよ!」と即答した。ない、とはっきり言われると何だか寂しくなる。法恵は先程と変わらない笑顔で話をつづけた。

「あのねぇ、敏郎にいちゃんは啓太にいちゃんのこと好きだと思うよ。」

「えっ?」

予想外の言葉に思わず素っ頓狂な言葉をあげてしまう。なぜそうだと分かるのだろうか。そもそも好きだなんて突拍子が無さすぎないだろうか。

「どうしてそう思うんだ?」

「だって敏郎にいちゃん、啓太にいちゃんのことよく見てるしすごく気になってるみたいだったから。」

確かに志木からたびたび視線を感じることはあったがそれは自分が何かおかしなことをしないか監視しているだけでそこに好意や親愛は無いと思うのだが。それにしてもよく観察していると思う。とても9歳とは思えない観察眼だ。

「あっトンボ!」

法恵が突然走り出した。どうやらトンボがいたらしい。突然のことに驚いて慌てて小走りで追いつく。

「法恵ちゃん、いきなり走ると危ないぞっ」

そう言って止めようとするが法恵はトンボに興奮して聞こえていないようだ。女の子も昆虫好きなんだなぁなんて暢気なことを一瞬考えてしまう。すると追いかけていたトンボが方向転換してどこかに飛んでいった時、法恵もそちらの方に行こうとしていたが突然のことだったため体に上手くブレーキがかからず思い切り地面に倒れ伏してしまう。

「法恵ちゃん!大丈夫か!?」

法恵のもとに駆け寄ってゆっくりと体を起こす。結構な勢いで倒れてしまったせいで顔や腕をところどころ擦り剝いてしまっている。最もひどいのは膝だった。右の膝頭からは血が出てしまっている。先程までの笑顔も消え、痛みに耐えているようで目尻には涙が浮かんでいる。

「法恵ちゃん、取りあえず帰ろうか。」

ひとまず家に帰ろうと考えるが、ふと脳裏にあることが過った。こういう怪我をした時、昔は医者にかかることのできない貧しい者たちは民間薬といって植物から作った薬で代用した。志木家は一般的な家庭より裕福であるため医者にもかかれるし薬もちゃんとある。ここから志木家は10分程度。法恵も耐えることができない時間ではないだろうが、せめてもの応急処置ぐらいはしてあげたいと思った。

「ちょっとそこで待っていてくれ」と言うと法恵はこくりと頷いた。こういう時くらいは泣いても構わないのに。我慢しているんだろうか。道脇の草むらに入ってあるものを探す。辺りを見渡すと丈が高く黄色い花をつけた植物を見つけた。オトギリソウだ。切り傷や腫れ物、虫刺されなどに効く薬として用いることが出来る。図鑑で見たことがあり、以前母と実際に採取したこともある。乾燥させた葉を煎じて用いることもあるが、今回はそんな暇はないので生の葉汁を用いる。オトギリソウの葉をいくつか取ってその葉を擦り合わせる。擦り合わせていると葉汁が出てくるのでそれを患部に塗布すればいい。

「法恵ちゃん、ちょっといいかな。」

その場に跪いて法恵の足を出す。擦り合わせて出た葉汁を膝に塗る。あくまでも少量塗るのみだ。塗りすぎると危険な薬だからだ。「何それ?」と法恵が不思議そうな顔で尋ねたので「オトギリソウだよ。これを塗るといくらか良くなると思うから。」と返す。法恵も田園地帯で育ってきた子なのでお嬢様とは言え民間薬のいくつかは知っているのではないかと思ったが今回はこれくらいで許してほしい。

「よし、応急処置終わり。帰ろうか。」

傷口への塗布を済ませたので帰路に着く。膝に負担をかけない方が良いので法恵をおんぶしてやろうと屈む。「ほら、おいで。」と言うと幾何か間を置いておずおずといった感じで背中に乗ってきた。もしかしたら遠慮してたのかもしれないな、などと思いながら元来た道を歩いていった。

*

「お帰りなさいませ…ってあら。」

玄関で出迎えてくれた喜代が自分とおぶられた法恵の姿を交互に見て驚いたように目を見開かせた。驚くも無理はないだろう。

「すみません、法恵ちゃんが転んで怪我をしてしまったので手当てしてあげてください。膝のところはオトギリソウの葉汁をつけておいたんで…」

喜代にそう説明して法恵を下ろすと「はぁ、そうでしたか。それは大変でしたねぇ。」と言って法恵の姿をまじまじと見つめた。「法恵さん、まずはお洋服着替えましょうね。啓太さんもありがとうございました。休まれてくださいね。」と言って法恵を連れて行く。法恵は「啓太にいちゃん、ありがとう。」と言って微笑んで見せた。

この笑顔を見てやった甲斐はあったかなと思った時、気配を感じた。気配の方へ目を向けると案の定志木が立っていた。こちらを見る表情からは感情が読み取れずどんな顔をしていいか戸惑ってしまう。多分先程のやりとりも見ていたのだろう。自分が一緒に居ながら大切な妹を怪我させられたのだから、怒っているかもしれない。これはますます疎まれるな、なんて思っていると志木が口を開いた。

「お前…法恵の手当てをしたのか。」

突然の言葉に理解が遅れる。えっ、と思って黙っていると志木はこちらをただじっと見つめていた。

「手当てってほどのものでもないよ。ただ植物の葉汁をつけただけだから。」

何とか言葉を紡いで返答した。視線になんとなく居心地の悪さを感じていると志木は顔を伏せて気まずそうに言う。

「…法恵はお前に懐いている。」

「…え?うん。」

「前までは俺の後ろばっかついて回ってたのにお前が来てからはお前とばかり遊んでお前の話ばかりする…」

「…………」

志木の言葉から考えると、つまり自分を慕っていた妹が最近来たばかりのよく分からない人間に懐くから嫉妬している、ということなのだろうか。

「…何だか申し訳ない。」

「べ、別に俺が勝手にやっかんでいるだけだ。気にするな。それで、この数日でお前が頭のおかしな奴じゃないということは分かった。悪かったな。あんな扱いして。」

まさかそんな言葉をかけてもらえるとは思ってもいなかったので面喰ってしまう。まさに鳩が豆鉄砲を食らったようで反応に困ってしまう。志木の顔はよく見えないがどことなく紅潮しているようにも見えた。

「お前は仕事の手伝いもするし法恵に懐かれているし、しかも今日は手当てまでしておぶって帰ってきた。そこまでする奴が不審者のはずないもんな。」

「あ、ありがとう…認めてくれて。」

「と、と言ってもあの未来から来たとかそのことまで信じるわけではないからな。」

志木が今まで見せなかったような表情をするのでこちらまで照れ臭くなって上手い言葉が見つからないが何とか言葉を繰り出す。あの未来人うんぬんの話をまだ覚えているとは思っていなかったが、流石にあれを信じはしないようだ。当然と言えば当然か。

「…敏郎。」

「…え?」

「敏郎って呼べよ。お前、俺の名前呼んでないだろ。」

思わずあっ、と口から出てしまいそうになる。確かに、自分は志木の名前を一度も呼んでいない。そもそも会話が少なかったこともあるがいきなり呼び捨てをするのも馴れ馴れしいし苗字で呼ぶのも何か違うので名前を呼ばずに過ごしてきたのだが本人からそれを突っ込まれるとは思っていなかったので驚いた。今日は本当に驚きの連続だ。

「俺もお前のこと名前で呼ぶからな。啓太。」

「あー、ありがとう。えっーと…よろしく、敏郎。」

いざ名前を呼んで呼ばれるとよく分からないこっ恥ずかしさを感じてしまう。今までこんな経験あっただろうか。七十五年前にタイムスリップして十八歳の祖父の友人とこうして名前を呼び合うなんて、いや、なかなか経験できるはずもないな、なんて思う。

 

千日紅が咲く季節には 3

 目が覚めると視界が緑に染まっていた。否、染まっていたのではなくその正体は草だったのだがしばらくそれが何なのか分からないほどにあたりは暗くなっていた。確か、さっき丘の上から赤い花を見つけて足を滑らせて落ちてしまったのだ。下から丘を見上げるとけっこう高いところから落ちてしまったんだなと身震いする。そのせいか全身が痛い。骨は折れていないようだが左足首が痛む。きっと捻挫だろう。まさかこんなことになってしまうとは。こんなところまでやって来て怪我をして帰るなんて情けないしなかなかに恥ずかしい。帰ったら笑われるかもなぁなんて思うと憂鬱な気分になった。

とりあえず帰ろうと鈍痛を抱えた体を動かして立ち上がる。そこであることに気が付いた。落ちる前は日が傾いている程度でまだ明るかった空が今ではすっかり日が暮れて暗いのだ。この暗さだと七時過ぎぐらいだろうか。まさか一時間も気を失っていたというのか。頭を強く打ったわけでもないのにそんなことあるのだろうか。時間を確認しようとポケットからスマートフォンを取り出す。しかし全く反応がない。電源ボダンを何回押しても液晶は真っ暗なままだ。充電切れだろうか。いや、さっきまで充電は十分にあった。どういうことなのだ。さっきから色んなことがおかしい。

何だか気味が悪くなって小走りで草むらを去る。左足を引きずりながら階段まで来てできるだけ足早に駆け上がる。そこでまたしても異変に気付いた。景色が違う。この階段の上はあの丘の上で草が生い茂った空き地となっているはずだ。なのに空き地だったはずの場所には木造の小さな家が建っている。階段からさっき自分が倒れてた草むらを見る。あの草むらの上に家が。草むらと丘の上を交互に見るが何度見ても同じままだ。空き地じゃない。どういうことなのだ。夢でも見ているのだろうか。転がり落ちて目が覚めたら違う場所に居たなんて考えられない。余りにもおかしい。後ろに振り向いて家々が並ぶパノラマを見渡す。そこは先程見た景色とは明らかに違っていた。戸数が少なく緑の範囲が広い。しかもよく見ると家々が古めかしい気がする。次第に嫌な予感が確信へと変わっていくのを感じながら思わず冷や汗が流れた。鼓動が速くなって拳に力が入る。

今きっとひきつったような表情をしているだろう。気後れしながらも他の場所も見てみようと踵をめぐらせようとした時、何かがそこにあるのを感じた。それが影を携えて暗闇からゆっくりと現れる。犬だ。しかし薄汚くなかなかに体が大きい。よく見ると首輪を付けていない。またしても嫌な予感がした。

その犬はこちらの姿を認めると顔を強張らせその牙を剥き出しにした。顔つきはみるみるうちに凶暴になり低い唸り声をあげて威嚇している。見たら分かる。明らかに敵意を向けている。

犬はじりじりとこちらに寄ってくる。まずい。どう考えてもまずい状況だ。元来た道へ抜ければ犬を撒くことが出来るがどうやって犬に向かっていくことしかできない上、一本道なので他に逃げ場がない。後はこの階段を下りるしか方法がない。しかしそれだと犬に背中を向けてしまうことになる。背中を見せるのはかなり危険だ。リスクを負ってでも逃げることに専念するか。それともこれ以上傷を増やさないために逃げることは放棄するか。逃げることを放棄なんて出来るだろうか。犬はどう見てもこちらを襲う気満々のようだし襲ってくれれば確実に怪我をするだろう。怪我をするだけで済むならばまだしも見たところ野犬だ。もしかしたら病気を持っている可能性もある。咬まれるのは避けたい。こちらが危害を与えない意思表示をすれば襲ってこないだろうか。否、それは考えにくい。何をしたって犬はこちらに向かってくるだろう。

犬を刺激しないようにゆっくりと動いて塀に背中をつけた。どうにかこの場から立ち去ろうとするが犬はこちらに視線を捉えて離さない。すると痺れをきらしたように唸り声が咆哮に変わった。低く大きな咆哮は辺りに響き、こちらを怯えさせるには十分なものだった。今までにも大型犬に吠えられたことはあったがこんなにも近く、敵意を向けられて吠えられると恐怖心に支配されて全身の肌が粟立つ感覚が襲う。もう抵抗なんて諦めて大人しく咬まれるかなどと一瞬思いかけてすぐに考えを振り切る。いや、何か必ずこの窮地を脱する方法があるはずだと考えを巡らすが焦るばかりで何も浮かんでこない。脂汗が額から流れてきたその瞬間、犬の横っ面に何かが当たった。犬は先程までの低い声と一転してか弱い犬だと言わんばかりの高い声で一鳴きした。地面に木の棒のようなものが落ちているのがわかった。これが当たったのだと確信した。

犬の背後から大きな影が近づいてくるのを感じた。人だ。

「おら、この犬っころがやかましいぞ!吠えるんじゃねえ近所迷惑だろうが」

目の前に現れたその姿に一瞬目を見張る。切れ長の目に薄い顔立ち、遠くから見ても分かるほどに背が高く片手には木製のバットを携えている。一見印象に残りにくい顔だが分かる。若き日の祖父の隣に写っていた青年、志木敏郎だ。

人違いだとか他人の空似とか、その可能性なんていくらでもあるのに不思議と本人だと信じて疑わなかった。そしてこれでよく分かった。やはり自分は"過去に来てしまった"のだと。

「これ以上殴られたくなかったらさっさとどっか行けっ」と志木がバットを振り回すと犬は大きな体躯を縮こませながら去っていった。ようやく恐怖の対象が消えて安堵したのも束の間、志木がこちらを見つめていることに気が付いた。

「お前…どこのモンだ?」

志木は泥棒を見るかのような怪訝そうな顔つきで凝視してくる。無理もないだろう。髪型や服装、身につけているものまでこの時代とは違っていてしかも薄汚れていて怪我もしている。もし自分が志木の立場だったら同じように不審に思うだろう。しかしいくらこんな格好とはいえ初対面の人間にじろじろ見られるのは余り良い気分ではない。

「何か変わった格好してるなぁ。都会から来たんか?都会はよくわからん格好が流行るからなぁ」

「あ、あぁいや、そうではなくて…あ、そのお訊ねしたいことがあるのですが」

意を決して"あること"を確認しようと切り出す。「何だ?」と相変わらず訝しげに聞き返す志木に訊ねた。

「今日は何年の何月何日ですか?」

もうほとんど確信がついているのだが、せめて確認しておく。

「おかしなこと聞くな…昭和十四年の八月四日だが」

やはりそうだ!間違いなく過去にやって来たのだ。空き地に家があったのも町の風景が違っていたのも全部過去にやって来たからなのだ。ようやく謎が解けたが不安や憂鬱は拭えなかった。過去に来たことが分かったとしてもこれからどうすればいいと言うのだろうか。行くところなんて無いし戻る方法も分からない。お先真っ暗だ。目の前にいる志木もこちらが写真越しに一方的に知っているだけ。写真で見たよりもまだあどけない顔立ちをしているので、あの写真よりも前のはずだ。

「お前やっぱり怪しいなぁ…警察に連れていくか」

「えっ警察?」

「見るからに怪しい奴を野放しにしておくわけにはいかないだろ。まずは身体検査だ。」

志木が近づいてきて身体を触ってきた。なにか危険なものでも所持してないか確認するためだろうか。するとポケットに入れていたスマートフォンに気づいたようで取り出して見せた。

「何だこれ…」

志木は初めて見るその物体に訝しげに見ながらべたべたと触る。当然ながらこの時代の人間がスマートフォンなんてもの分かるはずもないだろう。

「もしかして…お前スパイか?」

「ち、違うよ」

志木がそんなことを口走るも即座に否定する。スパイと疑われるとは思っていなかった。口にした本人もそれはないと思ったようで「そもそも日本人にしか見えんしこんなところに来るわけないか…」などとぶつぶつと呟いている。

「あのさ」

「…何だよ」

志木がスマートフォンをいじるのをやめたのを見計らって話しかける。珍妙な目つきで見つめてくる志木に静かに告げる。

「お、俺、実は未来から来たんだよね」

「……………」

「わ、信じてもらえるかな?はは…」

勇気を出してそう切り出した。が、志木の怪訝な目つきは先程よりますます険しくなっている。もはや侮蔑さえも感じ取れるようなその視線に居心地が悪くなる。そんな目を向けたくなるのも当然分かるのだが、やはり辛い。別に困らせたいとか揶揄っているわけではないのだ。紛れもない事実だ。

「…お前は警察に連れていく前に俺の家に連れていく」

「え、家?」

志木が腕を掴んで引っ張って行く。連行されるような形に戸惑いながらも志木の顔はこちらから見れないのでどう思われているかは分からない。どことなく不機嫌だ。

「お前を警察に連れていくべきかは俺だけじゃ判断できないから、俺以外の人間に判断を仰ぐ」

思っていたことを見透かされたような呟きに少々面喰いながらも、結局彼の家まで大人しく連行されることになった。

*

「敏郎さん、お帰りなさいませ…ってあら、ご友人ですか?」

「違う、ただの頭がおかしい奴だ」

丘を抜けて坂道を下りると現代では住宅街となっている場所も点々と家が建っている程度の場所だった。緑が多く田んぼが広がっていてのどかな田園風景、といった感じなのだが連れてこられた志木の家はこの辺りで一番大きく格式高い造りとなっている。背の高い門を入って玄関に足を踏み入れれば広い玄関に中年の女性が立っていた。着物に割烹着を着ており、髪の毛を一つに纏めている。これは昭和の典型的な母親のスタイルだ。色んな媒体で見たことがある。訝しげにこちらを見ている女性にも手厳しい言葉を投げかけながら荷物を放るような雑さで上がり框に押し付けられて体の節々が音を上げる。

「い、痛い…怪我しているんだから手加減してくれよ」

「うるさい。さっさと上がれ」

ここに連れてくるまでも腕を引っ張らて来たのだが、その際に「怪我をしているからもっとゆっくり歩いてくれ」と言ったら最初は取り合わなかったものの、捻っている足を引きずって痛がったらきまりが悪そうな顔しながらもペースを落としてくれた。なんだかんだ言って聞き入れてくれるあたり意外と優しいのかもしれないと思ったがここでの扱いを見るとどうなのか分からない。

靴を脱いで上がり框に上がると階段を下りる音がしてもう一人中年の女性がやって来た。

「あら、敏郎。お友達?」

「いや、頭のおかしい奴だ」

「どういうこと?お友達じゃないの?その方はいったい…」

もう一人の中年女性はまとめ髪に紺絣の着物を着ている。先程玄関で迎えられた中年女性と同じように穏やかな雰囲気を纏っているが、こちらの女性の方が上品さがある。きっと良い家柄の育ちなのだろう。着物の女性は怪訝そうな顔でこちらの全身をくまなく観察した後、何かを察したように口を開いた。

「喜代さん、今すぐお湯と薬を用意してくれるかしら」

喜代、と呼ばれた中年女性が「はい、奥様」と言って足早に廊下の奥へと消えて行った。ようやく合点がいった。玄関で迎えられた中年女性が家政婦でこの目の前にいる気品のある中年女性は「奥様」と呼ばれていたことから恐らく志木の母親なのだろう。よく見たら志木とどことなく顔立ちも似ている。そしてこの人はどうやら自分が怪我をしているということにも気づいたようだった。まさか不審者として連れて来られた自分にこのような厚意を見せるなど思いもしなかった。

しかし、母親の突然の言葉に志木は動揺しているようで茫然とその姿を見送った後慌てて異議を申し立てた。

「お、おい、母さん。何する気だよ。」

「何って、この方は怪我しているのよ。手当てしてあげないと駄目でしょう?」

「でもそいつは素性の分からない奴なんだぞ。そんな怪しい奴に手当てなんて…」

「貴方がこの家に連れてきた以上はこの方はれっきとしたお客様です。貴方はこの方を家に連れてきても良いと判断したから連れてきたのでしょう?」

母親からの言葉に言い返すこともできずに志木は黙った。穏やかそうに見えて意外と殊勝なようだ。そして息子を上手く言いくるめるところはうちの母親に似ているかもしれないなとふと思う。志木を横目で見れば目が合ってしまい慌てて視線を逸らした。一瞬見えたその表情は苦虫を噛み潰したようだった。

 

千日紅が咲く季節には 2

「啓太ーこれ仕分けするの手伝って」

数学の課題を終わらせてまずは一区切りと台所にやってくれば母に呼び止められた。テーブルには色とりどりの花や新聞紙や鋏、紙が広げられている。

「俺今から勉強するんだけど」

吐き捨てるように言うと母は花を包んだ紙の上にどこからか持ってきた国語辞典を載せながら「すぐ終わるから。休憩がてら良いでしょ?」と返した。この作業が休憩のうちに入るのか、という言葉を飲み込んで黙って母の隣に座った。目の前には叔母が母と同じように作業している。母は数年前から手作りの押し花やドライフラワーといったものをフリーマーケットやネット上で販売している。もともと器用で細かい作業が得意な母の作品はそれなりに人気があり一定の収入がある。そんなこともあってか叔母と同様に母の作業の手伝いをさせられることが多い。しかし叔母はたまに帰省した際に会う程度なので母の手伝いの頻度といったらこちらの方が多い。テーブルに無造作に置かれていた作品を種類ごとに仕分けていく。母も叔母も黙々と作業しておりその場には縁側の風鈴が風を受けて鳴る音と蝉の鳴き声だけが聞こえる。

「あれ?そういやじいちゃんと香織は?」

「香織は酒屋におつかい。おじいちゃんは向こうの部屋にいるわよ。あ、そこの図鑑とって。」

テーブルの端に置かれている植物図鑑を手に取った。その図鑑を見てあることに気づく。今まで使っていた図鑑とは違う。今まで使っていたものは母が十数年以上前に購入したものでページが縒れていたり擦れていたりと状態が悪かったのに手に取った図鑑は見た通り新品で汚れ一つない。

「図鑑買い替えた?」

「そうそう、今度の薬草検定受験するし折角の機会に新しいの買っておこうと思ってね」

「また受けるのかよ…」

「またじゃない!この前受けたのは漢方検定だから」

漢方検定も薬草検定も似たようなものじゃないのか。母はそれなりの歳でありながら検定だの資格だのそういったものに執心しており普段植物を扱っているせいかそれに関連して薬草だの漢方だのに詳しい。昔から母が身につけた薬草の蘊蓄を聞かされているせいか自然と自分までそれらにやたらと詳しくなってしまった。誰かに知識をひけらかして自慢できるようなものでもないし、都会育ちの自分にとって野山を駆け回る子供に対してぐらいしか役に立たないんじゃないか?と思う所存である。

「俺ちょっと散歩行ってくる」

仕分け作業を全部終えたので近所を少し歩いて来ようかと席を立った。「夕飯までには帰ってきなさいよ」という母の言葉を背に靴を履く。手元のスマートフォンには"18:07"の数字を表示している。スマートフォンにポケットにしまって玄関を出ると外はまだまだ明るく蝉も変わらずうるさいほど鳴いている。日が傾き始めているもののこの季節なら日が沈むのは一時間ほど先だ。気温も若干下がって歩くにはちょうど良いだろう。

祖父の家があるこの町は郊外にあるためか都市部に比べて静かで長閑な地域だ。町一帯が山に囲まれていて緑豊かなこの地域が自分としては嫌いじゃなかった。ここから少し離れているか向こうには海があり高台から海を見下ろすことができる場所もある。祖父も都会の育ちで定年退職してからこの地に一軒家を建てた。祖父がこの地を気に入るのも分かる気がした。

住宅街を抜けて坂道を登っていくと空き地が見えた。草が生い茂っていて長らく放置されていることが分かる。丘になっていてここから町を見渡すことができる。一帯に広がった家々の向こうには傾き始めた太陽が地平線に向かっている。ここ数年は無沙汰だったものの余り人が来ない穴場なので好きな場所だ。

ふと気になって丘の下を見下ろす。三、四メートルほどの高さはがあって崖ではないだけましだが思わず足が竦みそうになる。下をしばし見つめていると緑色の中に一つだけ紫色がのぞいていることに気づいた。それが気になって体を乗り出す。ここには柵もロープもないため落ちるのは容易だろう。草の中に一輪だけ咲いている赤色の花を確認してあれが何の花だったか思案する。もっと近くで見たいと足を踏み出したその瞬間体ががくんと前のめりになった。あ、まずいと思ったのも束の間バランスを失って草の上を転がっていく。大きな衝撃と交互に空の青と草の緑が視界を覆って三、四メートル下の地面に体が叩きつけられる。体のところどころに痛みが走る。しまったな、と思いながら意識を手放した。