さよならまぼろし

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歴創版日本史ワンライ 2023/1/28 「鴛鴦」

 

今日はいつにも増して寒い日だった。
庭は一面銀化粧され、なおも粉雪が降り続いていた。辺りは人の声すら聴こえてこないほど静謐でたまに炭櫃の中の炭が火に焼べられてぱちぱちと鳴るくらいだ。
こんな静かな空間の中で二人きりだというのに縁に座って外を眺めてばかりの己の夫の背を春日局は見つめた。夫が風情を重する人であることは知っているが、こちらを向こうとしないのは何か他意があるのではないかとふと思ったのだった。
「寒いな」
夫──足利義満がそんな春日局の視線に気づいたのか気づいていないのか不意に口を開いた。しかし、目は相変わらず庭に向いたままだった。
「其方にいらっしゃれば寒くもなりましょう。火桶のある此方にいらしてはいかが」
炭櫃の温かさが届かない縁にいれば寒いと感じるのは当然のことだ。春日局がそう言って誘うと、義満はわずかに困惑したように眉を下げた。元から温厚そうに柔い線を描いている顔立ちがさらになよやかになる。
「其方は寒くないのか」
「火がありますので私は大丈夫です」
「そうか。……しかし、其方は身重なのだ。体を冷やして風気になったらどうする」
やや捲し立てるように言うと義満は漸く春日局の方へ振り向いた。雪に縁取られた白い顔はいつもと様子が違うように見えて春日局は不思議に思った。
春日局が身重の体なのは事実だ。腹にいる義満との子はあと半月でも経てば産まれるという頃だった。
身籠ってからというものの、義満が春日局を気遣うことが多くなったがその挙措も春日局からすればややぎこちなさを感じるところがあった。身籠る前から義満が春日局の前でそのようになることはあったが、近頃はとりわけ著しい。
春日局は代々重臣として仕える摂津氏の生まれであった縁もあって義満に侍女として仕え、その折に見初められたのだった。夫婦となって一年が経つが義満と春日局は未だ初々しいところがあった。初めは正室の業子から侍女という身の程のためか、ただの悋気なのか白眼視されることも暫くすれば慣れたが春日局と義満の関わりにおいては不慣れなところが未だあった。
春日局自身は己が側室で他にも身籠った妻はいるというのになぜそのようなところを見せるのかと思ったが、案外不器用なところがあり、こうして身重の妻を慮るのは初めてなのかもしれないと考え着いた。
春日局があれこれ思案していると義満はその側らにいざり寄った。
「近う」
そして己の肩を妻の肩にぴったりと合わせてぐっと体を近づけた。袿や単で幾重にも隔たられているはずなのに感触はやけに鮮明で心なしか温かさを感じられた。
「まあ、こんなに身を寄せて。鳥みたいですね」
「然すれば温かいであろう」
義満は満足げに笑って言った。
「突然何事かと思うただろう。其方をどう慮れば良いのか上手く考えつかなかったのだ」
「私以外にも何人も妻がいるのに?」
「其方は別よ。其方の前だとどんな手練も取り繕えぬわ」
「御所様は女を喜ばせるのがまことに上手でございますわ」
「偽りではないぞ」
ずっと外ばかり眺めていたのもどう顔を合わせて話をすればよいのか判断し兼ねていたのかもしれないと春日局は思った。しかし義満は幾人もの妻を持つ身。己以外にも同じようなことを言っているのではないかと思ってしまうのは性分立場ゆえ仕方のないことだったがそれでもなお夫を愛しく思う気持ちに変わりはないのだから己も大概だと思った。
「でしたら、この子が産まれたらどうぞ可愛がってください」
春日局は自身の膨らんだ腹を撫でながら微笑んだ。
「もちろん可愛がってやろう。其方との子だ。うんと愛らしいに決まっている」
義満も笑って春日局が腹にやっている手に己の手を重ねた。その後産まれた彼女との子の顔を見て義満が”余に似ている”と喜び、溺愛したことはもはや言うまでもない。