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2023/1/21 歴創版日本史ワンライ 「悲しみ」

  細川満元の心は”空”だった。
すべてのものは移り行き、冬草のように衰え朽ちる。不変のものなど存在しないということを満元は知っていた。知っているはずだった。
しかしいざ真に大切なものを喪うとその事実を受け入れることもできず、心が虚ろになってしまうということを満元はようやく実感したのだ。
事の発端は今から二年ほど前、応永二十三年鎌倉府の関東管領上杉禅秀鎌倉公方足利持氏の叔父、満隆を奉じて反鎌倉府の国人勢力とともに持氏を討とうとしたことだった。その後、室町殿の弟、義嗣が突如出奔した。禅秀の娘を妻に持ち姻族の関係にあるため、謀反に加わっているのではないかと囁かれた。義嗣は捕らえられた後、相国寺林光院に身柄を移された。それから暫くは音沙汰がなかったものの、一年余り経った今年の正月に義持近習の富樫満成によって弑されたのだった。
はじめ鎌倉府側を支援するか、義嗣のことについて大名で衆議をしたことがあった。畠山満家は義嗣に自害させることを頑なに主張したが、満元は事を穏便に済ますことを提案した。管領として事を荒立てずに終息させることを優先すべきだと考えたのもあり、生来の性格ゆえにというのもあった。それ以上に満元は当時は必死であったこともあって自覚していなかったが、己は私情として”義嗣が殺されることをよしとしていない”からだったと思った。満元と義嗣の間には以前まら私的な繋がりがあった。性格も嗜好も似た二人は歳が離れているとは言え、その隔たりさえ忘れてしまうほど共鳴していた。満元にとって、義嗣は単なる主君以上の存在だった。
政に私情を持ち込んでいけないことなど管領の職に就いている以上、満元もわかっているはずだった。しかし、それでも抑えることができなかった。
義嗣が誅されたと知ったとき、満元の胸中は言い表せぬいくつもの感情の坩堝と化した。満元は悲しみ、怒り、そして後悔に苛まれた。
​────なぜあのようなことをした。いくら親族とはいえ、見捨ててしまえばよかった。素知らぬふりをしてさえすればもしかしたら助かったかもしれぬのに。
義嗣はきっと優しすぎたのだろうと満元は思う。舅を見捨てることも、だからといって兄のために謀反に加担することもできず悩んだ末に出家して苦しみから逃れようとしたのだろう。
​────ああ、真に愚かだあなたは。そしてそれ以上に愚かで不甲斐ないのは貴方を救えなかった己だ。
どんなに悔やんでも遅かった。末枯れてしまった花の哀れさをただ眺めることしかできないのだから。ただ、真実という空っぽな箱だけがそこに在った。