さよならまぼろし

一次創作サイト

足利兄弟のバレンタイン

  バレンタインが近づいていることをカレンダーで知ると直義は眉間を押さえた。
今年もまた”あのこと”を兄に伝えなくてはならない。
「もうすぐバレンタインではありますが貰った物を他人に配ることはしないように」
仕事終わりにオフィスから出てきた尊氏を見つけて捕まえると、直義は子どもに説教をする親のような面持ちで伝えた。
「またそれか」
「去年も言ったのに結局守らなかったでしょう。今年もそのようでは困るのです」
鋭い目で凄んでくる直義に対して尊氏はやや困ったように笑って身を縮こませた。ここまで直義が言うのも尊氏の”癖”に訳があった。
去年のバレンタインでは尊氏は相当の数のチョコレートを貰っていた。もちろん同じ部署の女性社員から義理として貰った物が大半だったが社内ではちょっとした有名人でもあることから部署を跨いで明らかに義理ではない物を受け取ることもあった。とまあ受け取る数自体は多いのだが最終的に尊氏の手許に残るのはかなり少なかった。それも尊氏が受け取った物を他の人間に渡しているからだった。物が多くあれば他人に分け与えたくなる性分なのか昔からその有り様で尊氏の人望と上手く躱しているお陰もあって幸い大きなトラブルはなかったが直義としてはこの先想定していないことが起こりえる可能性があるからと頑なにやめさせようとしていた。去年のバレンタインも事前に言いつけられていたが尊氏は結局いつもの癖をやめられるはずもなく随分と中身の軽い袋を提げて帰って直義に睨まれたことをよく覚えている。
注意するのも何事にも慎重な直義らしいことではあるが、何年もやって来たことを今さらやめられるはずもなくここまできていた。それに尊氏として自分ばかり咎められるのは不満があった。
「お前は俺ばかり責めるがお前も直すべきところがあるんじゃないのか」
「私のことはいいでしょう」
「よくなーい」
直義が触れてほしくないことだと言わんばかりに顔を引きつらせるのを見て尊氏はにやっと笑った。悪癖があるのは尊氏だけではない、直義にもある。それは人から物を受け取らないということだった。昔からそうだ。余程のことが無い限りどんなものでも受け取ろうとしない。昔、学生時代に直義に好意を持っていた女子がバレンタインにチョコレートを渡そうとしたが直義はそれを断って受け取らなかったことがあった。本人はトラブルを招かないためだと言っていたが極端すぎるし、渡そうとした人間が哀れだと尊氏は思うことがある。
「お前の言い分もわかるんだがだからといって全く受け取らないっていうのも相手に悪いだろう」
「兄さんのように何でもかんでも貰った物を他人にやるほうが良くありません。人間関係に亀裂が入る可能性が出ます」
「だからだな…ああもう、これじゃ埒が明かない」
危うく言い合いになろうかという時に尊氏は頭を掻いて制した。
「じゃあこうしよう。今年のバレンタインは俺は貰った物を人にあげないように努力してお前も人から物を受け取るように努力する」
「はあ…」
「それでその予行練習として互いにチョコレートを交換するっていうのはどうだ?」
「はい?」
尊氏が名案と言わんばかりの顔で言うと直義は目を白黒させた。
「あの、流れがよくわからないのですが」
「だってお前も俺も今まで普通に受け取るってことが少なかったわけだからいきなりやろうとしても慣れてないから出来ない可能性があるだろ?だからその練習」
「だからといって我々で渡し合う必要は…」
直義がぶつぶつと不満を漏らしていると尊氏はただじっとその目を見つめた。威圧感はないものの、どことなく”有無を言わせない”と言われているような気がして直義はそこで押し黙った。
「わかりましたよ」
「うん。じゃあ当日は宜しく頼む」
満足げに笑う尊氏を見て直義は昔から自分は兄には敵ったためしがないなと肩を竦めるばかりであった。

 


バレンタイン当日。尊氏は出社して朝一番に直義の元へ向かった。
声を掛けると直義は観念したように笑って袋を取り出した。
「やはり覚えていましたか」
「当然だろう。ほら、恥ずかしがらずに出せ」
直義はやれやれ、と言った様子で袋を尊氏のほうへ寄越した。
「どうぞ、兄さん。受け取ってください」
「ああ、ありがとな直義。これは俺からだ。受け取ってくれ」
まるで用意してきた台本を読むかのような口ぶりで尊氏と直義はチョコレートを交換した。些か不自然さを感じずにはいられない様相だったせいで互いに違和感を抱かなかったことはないがあえて何も言わないことにした。
「開けてもいいか?」
「どうぞ」
尊氏は貰った袋を開けて箱を取り出した。黒いシックなデザインの箱は尊氏も何度か見たことのあるもので有名な高級ブランドのものだった。
「お前…これ、気合入ってるな」
「どうせ渡すならと思いまして…おかしかったですか?」
「ああ、いや。良いと思うぞ」
いかにも直義の真面目なところが出ているなと内心ほほえましさを感じながら、これは帰って大切に頂こうと箱を袋に戻した。
「俺がやったやつも気になるだろう?いいぞ。中身を見ても」
「………ではお言葉に甘えて」
直義としては今この場で確認するほど気になってはいなかったが尊氏から圧を感じて開けることにした。
しかし、そこで直義はあることに気づいた。先程手渡された段階では地味な色の紙袋に入っていたため特に気になることはなかったが、中を見るとピンク色の物が見えた。
「兄さん。これはまさか…」
「ああ、気づいたか?俺の手作りだ!」
取り出したピンク色のラッピングはずいぶん可愛らしいデザインでさしずめ女性が恋人なり友人なりに渡すための物と言えるだろう。どう考えても成人男性が使うものではない。
「わざわざ作ったのですか…」
「ああ。一人で菓子を作ったのは初めてだったから幾分か苦戦したがちゃんと出来たぞ。あとお前は甘いのが苦手だからダークチョコレートにしておいた」
「お気遣いどうも」
尊氏なりに色々と考えてしたのだと思ったが努力の方向性が少しおかしいような気がして直義はなんともいえない表情をしたが、まあこれも兄の優しさだと納得することにしておいた。
「それにしても今年は良いものを貰ったな。まさかこんな上等なチョコを貰えるとは」
「私もです。まさかこの歳になって兄から手作りの物を貰うとは思ってはいませんでした」
「受け取っておいてよかっただろう?」
「兄さんこそ、他人にやりたくなくなったでしょう?」
二人は顔を見合って笑った。これがこのまま互いの癖を矯正する方向に繋がればいいが果たしてどうなるのかは未だわからなかった。ただ、両者とも兄(弟)から貰えたという事実に満足しているという心中は同じだった。

 

 

その後
「直義~!助けてくれ!」
「どうしたのですか」
「貰ったチョコが多すぎて持って帰れない!どうすればいいと思う!?」
「……………。もう知りません」